今回ご紹介する一冊は、
パオロ・ジョルダーノ 著
『コロナの時代の僕ら』
です。
イタリア人作家パオロ・ジョルダーノが、
コロナ期真っ只中の2月末から3月頭にかけて
書き下ろした感染症にまつわるエッセイ
をまとめたものを邦訳したのがこの本です。
著者のパオロ・ジョルダーノについて
少し紹介しますと、
トリノ大学で物理学を学んだ後、
同大学の修士課程に在籍中だった
2008年に小説『素数たちの孤独』で
文壇デビューするといった変わった
経歴の持ち主なのです。
この作品では、
特殊な素数の組み合わせである
「双子素数」をモチーフにして
男女の心情を描くという、
これまた何とも一風変わったテーマで
25歳という若さでイタリア最高峰の
文学賞・ストレーガ賞を受賞しています。
そんな才能あふれる著者がこの本では、
得意の数学を用いて科学的に
この感染症を捉えながら、
豊かな表現力で一人の人間としての心情を
ストレートにさらけ出しているのです。
新型コロナウイルスに関連する情報は、
日々様々なメディアで色々な角度から
飛び交っています。
そして、様々な有識者や専門家、
コメンテーターがご自身の経験や分析から
言いたい放題に議論を交わしています。
いつの間にか私たちは、何が正しいのか、
何を信じれば良いのかを見失っていませんでしょうか。
この本はそのような私たちの不安を和らげ、
大切な何かを教えてくれます。
第二波がすぐ目の前まで迫っている時だからこそ、
この本を読んで冷静にこの感染症と
向き合いたいものです。
目次
新型コロナウイルスは、決して大したことのないウイルスではない
「家にいよう」
「躊躇したぶんだけ、その代価を犠牲者数で支払う」
「いいかげんな情報が、やたらと伝播された」僕たちは、感染症の科学について何を知っている必要があり、今まさに訪れようとしている「コロナの時代」をどう生きるべきなのだろうか?
200万部のベストセラーと物理学の博士号をもつイタリアの小説家による、緊急事態宣言下の日本の人々への示唆に満ちた傑作エッセイ。
日本語版には、後日談となるあとがきを特別掲載。
著者はこの本で、
私たち人間をビリヤードの球と
表現しています。
私たちはいま静止している
ビリヤードの球だとして、
そこへいきなり感染した球が
ひとつ猛スピードで
突っ込んできます。
この感染した球こそ、
いわゆるゼロ号患者
(未感染の集団に病気を最初に持ち込む患者)なのです。
ゼロ号患者はその後ふたつの球に
ぶつかってから動きを止め、
その球によって弾かれたふたつの球は、
それぞれがまたふたつの球にぶつかります。
次に弾かれた球のどちらもやはり
ふたつの球にぶつかり・・・
あとはこのパターンが延々と
繰り返されるというのです。
著者は新型コロナウイルスによる
感染症の流行の始まりをこのように表現し、
感染スピードの速さを強調しています。
さらに、人間だからこそのつながり、
便利すぎる現代だからこそのつながりが、
ある地域だけの問題だけではなく、
全世界全人種に関わる感染症に
つながってしまったと著者は訴えています。
「若者は例え感染症にかかっても
重症化しないから安心だ」
そんな楽観的な意見を耳にすることが
日本でも多くありましたが、
いやでもつながって生きている
現代だからこそ、
例え若者が重症化しないとしても
知らない間に高齢者に感染させ、
さらには国境を越えアフリカなどの
貧しい国、医療設備が十分でない
国の人に感染させてしまう恐れがあるのです。
この現実を知ってでも
「このウイルスは大したことはない」
と言えるでしょうか。
そもそもの感染源は、人間による環境破壊である
感染源についても様々な見解があるのは
ご存知かと思います。
中国・武漢市のある市場から発生したという説や
ある企業があとから自社製のワクチン
を売りつけるつもりで作ったウイルスである
という説などです。
人間はこのような非常事態に陥ったとき、
こういったフェイクニュースのようなものを
信じてしまう傾向にあります。
いわゆる現実逃避というものです。
しかし著者はそんな弱いに人間に
厳しい現実を突きつけます。
それは
「人間による環境破壊こそ、
このウイルスのそもそもの感染源である」
というものです。
著者の言葉を借りると、
森林破壊、都市化、
それによる多くの動物の絶滅、
これらにより、
動物の腸に生息していた細菌が
別のどこかへの引っ越しを
余儀なくされたのだと言います。
そんな新天地を探している
細菌や微生物にとって、
人間という場所は最適な候補地だということです。
こんなにも増え続け、
こんなにも病原体に感染しやすく、
多くの仲間と結ばれ、
どこまでも移動する人間。
これを聞くと確かに理想的な引っ越し先で
あることは容易に納得できます。
もし人間がこれまでのように環境を破壊せず、
自然や動物と共生しながら
謙虚に生きていたら・・・
もう手遅れなのかもしれませんが、
まだできることはあるはずです。
戻るべきは、感染症発生前の“元の日常”ではない
著者は旧約聖書の詩編のひとつを
例に出しています。
『われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。』
というものです。
感染症流行中は、
誰もが色々なものを数えてきました。
感染者数、死者数、回復者数、
学校や会社に行けなかった日数、
日ごとに減っていく貯蓄の金額、
そして危機が過ぎ去り元の日常に戻るまでは
いったいあと何日なのか。
このように、
数えるのが嫌になることばかりを
数える日々が続く中、
この詩編はみんなにそれとは
別の数を数えるように
勧めているのではないだろうかと
著者は気づくのです。
そして、苦痛な休憩時間としか思えない
こんな日々も含めて、
僕らは人生のすべての日々を
価値あるものにする
数え方を学ぶべきではないだとうか、
と私たちに投げかけるのです。
さらに著者ならではの訴えは続きます。
「緊急事態に苦しみながらも僕らは、今までとは違った思考をしてみるための空間を確保しなくてはいけない」
「人間が環境との付き合い方をどう変えるべきなのか、自分の行動をどう変えるべきなのか正直言って分からないが、この事態を一切なかったことの
ように元に戻そうとすることは、結果到来するのは闇夜であり、ただの忘却の始まりでもある」
私たちが今できることは、
この緊急事態を一人一人が
しっかりと受け止め、
もう二度とこの「まさかの事態」に
不意を突かれないように、
新しい日常のあるべき姿を考えはじめ、
行動に移していくことで
あるはずです。
少なくともこの本を読んだ私は、
そう心に決めました。
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