今回ご紹介する一冊は、
山鳥重(やまどりあつし) 著
『「わかる」とはどういうことか ―認識の脳科学』
です。
「わかる」といわれても、
そもそも「わかった」とは
どういう状態なのかを
理解している人はあまりいません。
それを解説してくれた山鳥重氏は
神戸学院大学人文学教授時代の
インタビューで
「頭を働かせる機会や場面が多いほど、何かの課題に直面したときに自分で解き方を探りあてて『わかった』にたどり着く能力に強くなる。」
と答えています。
実際に「わかる」と心も健やかになるし、
より掘り下げて学びたくなります。
例えばアインシュタインのように
人は深く物事を考えているときほど
出てくる言葉は支離滅裂になってしまうようです。
気体が液体に、液体が固体(結晶化)になるように
言葉となるには一定の時間がかかります。
「わかった」「ひらめいた」
となるのもそれぞれのようです。
その「わかる」について読み解いていきます。
目次
「わかる」ための素材と手がかり
人は、どんなときに「あ、わかった」「わけがわからない」「腑に落ちた!」などと感じるのだろうか。また「わかった」途端に快感が生じたりする。そのとき、脳ではなにが起こっているのか―脳の高次機能障害の臨床医である著者が、自身の経験(心像・知識・記憶)を総動員して、ヒトの認識のメカニズムを解き明かす。
「人間は考える葦である」
はパスカルの有名な言葉です。
人間は常に考えています。
そう考えているから
「わからない」が「わかる」に変わるのです。
心の働きには感情と思考があります。
感情には好き、嫌い、なんとなく好き、
なんとなく嫌い、楽しい、憂鬱、
なんとなく楽しい、なんとなく憂鬱など
ではっきりとしない状態のことです。
それに対して思考は心像という
心理的な単位を縦・横にして
作り上げる働きのことをいいます。
そのことから考えると
自分の心の動きはほかの人からは
「わかる」につながりにくいものなのです。
「わかる」という素材の正体は
知覚にあるといっても間違いではありません。
むかし偉い先生が五感を使って勉強するように
と言っていたのを思い出すとともに
般若心経に書かれていた
眼耳鼻舌身意(げんにびせつしんい)が
5感を意味していたことを確認できたのです。
知覚には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、
体性感覚(触覚、痛覚、温度覚、振動覚関節の動きの感覚)
があります。
知覚に取り込んだ現象は5感に分解して
脳に取り込まれて処理できる部分のみを
組み立てなおすことで
色々な「わかる」につながっていくのです。
いろいろな「わかる」とは?
「わかる」には6種類の「わかる」があります。
一つ目は“全体像が「わかる」"です。
私たちは時間や場所の検討をつけることが
できる見当識という能力があり
検討をつけることで大きな立場で観ると
それまで見えていなかったものが見えて
全体像が「わかる」ということになります。
2つ目は整理すると「わかる」です。
例えば化学において固体・気体・液体
などのように分類し、
整理することで「わかる」となります。
3つ目は筋が通ると「わかる」です。
例えば「風が吹くと桶屋が儲かる」のように
無関係にみえることでも
因果関係が成り立つことで
筋が通ると「わかる」となります。
4つ目は空間関係が「わかる」です。
キャッチボールをするときなどは
そのボールの位置やボールが描く軌跡、
速度なども少し複雑だけど
視空間能力を高めることで
空間関係が「わかる」となります。
5つ目は仕組みが「わかる」です。
一番身近なのは朝になると太陽は東から昇り、
夕方には西へ沈みます。
これは地球が太陽のまわりを回っている
という仕組みを知ることが
「わかる」につながるのです。
6つ目は規則が合えば「わかる」です。
これまでの5つと違って
算数の問題を解くなどの方式を
当てはめて理解できることで
規則が合えば「わかる」なのです。
「わかる」ために必要なこと
脳は「わかる」に対して重要となります。
6種類の「わかる」から
人は「わかりたい」と思っているのです。
「わかりたい」というのは
人間の体温が36.0℃に保たれる熱力学の法則
によるエントロピー増大の法則と
関係があるようです。
といわれても私にはさっぱりわかりませんが、
「わかる」というのは秩序を生む心の動きのこと
で心が「わかった」という信号を出すと
心に快感、落ち着きが生まれてくるのです。
結局のところ「わかる」ためには
それなりの基礎知識が必要となります。
脳を働かせて「重ね合わせ的理解」と
「発見的理解」を使って
答えを導き出すことに「わかる」はあるようです。
ちなみに「重ね合わせの理解」とは
頭のなかにモデルがあって
それを照らし合わせて答えを
導き出していく方法のことをいいます。
「発見的理解」とは答えが自分の中にはなく
外にあってそれを観察して
自分で答えを発見していくことをいいます。
「わかる」ためには脳を働かせても
「わからない」こともあります。
そんな時にはそれに気づいて視点を変えて
再度6つの「わかる」を繰り返し実践いくことで
はじめはできなかったことも
「わかる」になっていきます。
著者も言っていますが「読書百遍意自ら通ず」は
「わかる」と心の働きをうまく洞察しているようです。
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