中里恒子『時雨の記』小説あらすじと感想!映画版も

 

今回ご紹介する一冊は、

中里 恒子(なかざと つねこ) 著

『時雨の記』です。

 

世間では、浮気だ不倫だ

離婚だなんだと、

耳障りな噂が後を絶ちません。

 

はっきり言ってしまえば

『時雨の記』という

奥ゆかしいタイトルの

ついたこちらの物語も、

大人の不倫のお話です。

 

と聞いて、もしも読み始めたら、

不倫の概念がむしろ覆る

のではないでしょうか。

 

いえ、不倫などという

下卑た言葉そのものを

忌み嫌いたくなるのでは

ないでしょうか。

 

というぐらい、究極で、

男と女の間の情愛や

それを糧に生きることの本質が、

実に切なく美しく

描かれている作品です。

 

明治生まれの中里恒子さんが、

68歳の時に発表した渾身の作。

 

先月、お亡くなりになった

渡哲也さんが1998年に、

吉永小百合さんと映画版で

共演されてもいます。

 

渡さんは亡くなる前に、

最後は吉永さんと

大ラブシーンを演じたいと

願っていたそうですね。

 

それは叶わぬ夢となって

しまったようですが、

渡さんと吉永さんといえばもう、

大スター同士の誰もが認める

大人のベストカップル。

 

本作品の配役こそ、

このお二人を除いて

ほかにはなかったのでは

ないでしょうか。

 

 

 

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中里恒子『時雨の記』 あらすじ

吉永小百合 (出演), 渡哲也 (出演), 澤井信一郎 (監督)

 

夫と死別して一人けなげに生きる多江と、実業家の壬生。四十代の女性と五十代の男の恋は、知人の子息の結婚式で二十年ぶりに再会したことから始まった。はじめて自分の本音を話せる相手を見つけた男と、それを受け止めてなお甘えられる男に惹かれて行く女。人生の秋のさなかで生涯に一度の至純の愛にめぐり逢った二人を描き、人の幸せとは、人を愛するよろこびとは、を問う香り高い長篇小説。雅びな恋愛小説を数多く遺した中里恒子の作家案内と自筆年譜付き。

 

20年前に葬儀の席で顔を

合わせたことのある女と、

知り合いの結婚式で

偶然再び同席することとなり、

一気に恋心を募らせた男、壬生。

 

妻も家庭もありながら、

一途にその女、

多江に惹かれていきます。

 

多江が20年前は人妻であった

のは知っているが、

今の暮らしはどうなのか。

 

しかしそんなことはどうでもいい。

 

とにかくこの女を放ってはおけない。

 

そんな強い念に駆られるのです。

 

多江はその時、

夫を亡くした身で、

ささやかに茶道を

教えたりしながら、

 

大磯の奥まったところにある

古い一軒家で、

ひっそりと一人で

暮らしておりました。

 

会社を経営する壬生は、

多江を誘い、

多江の自宅へ押しかけ、

多江の生活に、

女としての多江の中に、

ずかずかと居場所を作り、

多江を自分の手中に

収めようとしていきます。

 

季節で例えれば人生はもう秋

といったところ。

 

最後は愛する女の為に生きる

と覚悟を決めた男の一途さを、

多江も次第に受け入れることで、

自らの生きる意味も

見いだしていきます。

 

二人の会話の中で、

たびたび引き合いに

出される藤原定家と、

定家が過ごした時雨亭。

 

そこは、やがて二人の憧れる、

そして二人の思い出に残る、

特別な場所となっていくのでした。

 

 

 

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中里恒子『時雨の記』 なまめかしいということ

 

昭和を舞台とし、

不倫などという軽率な言葉を

はるかに超えたところで、

 

読む者にじわりじわりと、

男と女、求め合い与え合う

愛の真骨頂がなまめかしく

浸み込んでくるような作品です。

 

肉体的な露骨な描写は

ひとつもありません。

 

しかし、どうにも

なまめかしいのです。

 

これは、

二人が40代と50代という、

円熟しきった大人だからこそ

醸し出されるものなのか、

 

昭和という時代背景も

相まっているのか、

 

知らずと死に向かいゆく意識が

そうさせているのか・・・。

 

私には、生きることそのものが、

なまめかしいことなのでは

ないかと思われました。

 

本作品は、

作者である中里さんの私小説

という見方も、

中里さんの理想形という見方

もあるようです。

 

東京駅、銀座、大磯、

京都、時雨亭。

和歌、茶道具、掛け軸。

自然の草木、撫子の花。

天ぷら、鮎、葛切り。

ビロードの鞄、つげの櫛。

 

ほんの一部、

これだけでも想像が及ぶ、

物語の風景。

 

寡婦で、古いものを

大切に使いながら、

飾り気なく、

一人ていねいな暮らしを

する多江は、

楚々としていながら

芯の強い女性です。

 

女性の私から見ても

魅力的すぎます。

 

壬生に誘われて

海に出かけるのに、

壬生を待たせて

わざわざ白足袋に

アイロンを当てるところなど、

ぞくぞくして

しまいました。

 

 

 

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中里恒子『時雨の記』 男と女の究極の理想ということ

 

家庭を持ち、

会社を経営する男が、

50を過ぎてから出逢った

愛する女の為に、

社長室にその女の為だけの

専用電話を引く、

 

秘書や運転手には、

暗黙の了解で女の為の

雑用を言いつける、

 

この女を日陰のままには

させないと自らに誓い、

最後は女のために

家まで建てようとする

男の気概は、

ただの色恋や肉欲などでは

ありません。

 

女性からすれば、

そこまでして、

自分という女に入れ上げて、

人生を懸けてくれる

包容力のある男は、

理想中の理想です。

 

しかし私は、

壬生のそんな気概の裏に、

孤独と寂しさを

垣間見るのです。

 

「人間というのは、お互いの弱味をかばいあえる場所が欲しいのだ。」

 

これまで、会社はもちろん、

家庭にもそのような場所

はなかったのでしょう。

 

多江にも当然それは

わかっています。

 

だからこそ

「愛はいっしょに愚かになることによって成り立つ・・・」

 

と、今日の明日で

ホノルルへ壬生に会いに行く、

といった、

普段からは想像できない

大胆な行動力を見せました。

 

この縁は、

今に始まったものではない、

 

前世から続くものだと

確信する二人の捨て身の情愛には、

何者も、何事も介入すること

などできません。

 

どちらかが

守り守られるのでなく、

お互いがお互いを守っている、

 

守り合っている

この二人の姿を見ていると、

老いることと向き合いながら、

 

自分たちで充足した生を

全うさせるべく、

その幽玄が、切なくて

たまりません。

 

そして愛こそが命であり、

余計なものをすべて

剥ぎ取った先には、

 

人を愛することこそが

生きることであるのだと、

素直にそう思われてなりません。

 

吉永小百合 (出演), 渡哲也 (出演), 澤井信一郎 (監督)

 

 

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