【書評】松田賢弥『したたか総理大臣菅義偉の野望と人生』本の感想とあらすじ!生い立ちから

 

今回ご紹介する一冊は、

松田 賢弥(まつだ けんや)

『したたか 総理大臣・菅義偉の野望と人生』

です。

 

9月に総理大臣になった

菅義偉総理は

「動くときは一気呵成に、かつ徹底的に-」

をスローガンに動く人のようです。

 

彼の好きな言葉には

「意志あれば道あり」とあり、

松田賢弥著のこの本では

菅義偉総理はいかなる

「意志」を持ち、

総理への「道」をしたたかに

歩んできたか、

自ずと明らかになるだろう

と記されています。

 

『したたか 総理大臣・菅義偉の野望と人生』

のあとがきに

「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけがありません。
しかし過去に眼を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となります。
非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」

 

と西ドイツの

ヴァイツゼッカー大統領の演説集

の一部を思い出し

その言葉に思いを巡らせている

松田賢弥さんの気持ちも

少し理解できます。

 

この本では菅総理大臣のことだけでなく

昭和・平成・令和における

政治家についても書かれているので

今後の政治家に対する考え方も

変わってくるはずです。

 

 

 

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松田賢弥『したたか 総理大臣・菅義偉の野望と人生』 菅という政治家の本当の姿

 

 

緊急出版!
第99代内閣総理大臣・菅義偉を知る一冊。秋田から出てきた若者は裸一貫から、いかにして最高権力の座を射止めたのか生い立ちから、法政大学の学生時代、横浜市議、衆院議員当選、安倍総理の右腕として「影の総理」ともいわれた官房長官時代までを、菅本人へのインタビューや地元・永田町関係者らの徹底取材をもとに描く人物評伝。

はじめに 菅総理、誕生す
第一章  血涙の歴史の落とし子
第二章  集団就職の世代
第三章  小沢一郎と菅義偉
第四章  権力闘争の渦中で
第五章  安倍政権の中枢で
第六章  権力を体現する政治家

 

菅義偉総理大臣の生まれ育った

故郷は秋田県雄勝郡秋ノ宮村です。

 

秋の宮村・院内町・横堀町の

三町村が合併して雄勝町になって

2005年には湯沢町に編入されています。

 

そんな土着の匂いがする

政治家が今はいなくなった

と言われています。

 

菅総理はもしかしたら

土着的な政治家の最後の存在

なのかもしれません。

 

土着的なというのは

草の根の民の記憶が体内に流れていて、

自分を育ててくれた寒村と

その人々の存在を忘れることのない

心像風景として

その政治家の胸に

息づいているように思えて、

それこそが政治家のあるべき姿

なのです。

 

その土着な政治家の代表的な政治家は

田中角栄で、

母の言葉の

「人間は休養が必要である。しかし休んでから働くか、働いてから休むか2つのうち働いてから休むほうがいい。….」

を一生忘れずに大切にしていたそうです。

 

最近は土着な政治家である

菅総理のように故郷を大事にしている

存在も少なくなっているようです。

 

そんな故郷を大事にする菅総理は

中学卒業に集団就職組には入らず

高校に進学したものの

東京に行くか秋田にとどまるかの

選択に悩んだ末に

上京することを決意したのです。

 

 

 

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松田賢弥『したたか 総理大臣・菅義偉の野望と人生』 苦労人の菅義偉

 

菅総理が上京した頃の日本は

高度成長を迎えていました。

 

そのため地王からの出稼ぎ労働者は

いくらでも必要とされていたのです。

 

高校卒業してから上京した菅総理は

「このまま一生終わるのは嫌だ」

と漠然とした不安と焦りを

感じるようになっていたのです。

 

そこでアルバイトをしながら

受験勉強をして2年遅れで

法政大学法学部に入学します。

 

法政大学は私立大学ですが

比較的学費も安かったようですが

学業・空手・アルバイトに

その当時の菅総理は

打ち込んでいたそうです。

 

その頃の日本は学生運動も

盛んでしたが、

結局のところ体制自体を変えていく

プロセスを描けなかったら

この社会はなお変わらずに

終わるのではないかと

問題意識する人も多かったようです。

 

菅総理が政治家になった理由を

「社会は政治が動かしているから」

と語っています。

 

私でも政治にこそ権力が、

社会を動かす力が存在している

ということ感じ取ることができます。

 

けれど凡人の私には菅総理のように

努力できないし、

他を助けることはあっても

応援してあげたいという気持ち

にまでさせることもできません。

 

苦労して人知れずに努力を

してきたからこそ

今の地位があるのかもしれません。

 

 

 

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松田賢弥『したたか 総理大臣・菅義偉の野望と人生』 総理大臣・菅義偉

 

2020年9月16日に首相指名選挙で

第99代内閣総理大臣に就任した

菅義偉は永田町の常識である

「騙すほうも悪いが、騙されるほうはもっと悪い」

ということを誰よりも

自覚していました。

 

安倍晋三前総理の右腕として

長く官房長官として活躍し

「不動の政権ナンバー2」

と言われていました。

 

お世辞にも人気者だったといえない

菅義偉は令和の新元号発表が

きっかけで「令和おじさん」

と人気上昇となったのには

本人もかなり驚いたはずです。

 

元号が令和に代わって

2年目の今年は新型コロナウィルス

によりこの世の中は経済も

生活様式も変わることとなり

まさに混乱の年といえそうです。

 

その影響もあったのか安倍総理が

持病の潰瘍性大腸炎の再燃により

辞任することになり、

今まで総理大臣を

意識したこともないのでは?と

菅義偉に聞きたくなるくらいの

周到な準備がなされていたことに

驚きを隠せません。

 

派閥のイメージのない菅義偉が

安倍総理の会見後すぐに

安倍晋三の出身母体であり

最大派閥の細田派、

第二派閥の麻生派ではなく

二階派の二階俊博を訪ねて

出馬の意思を伝えると

十に支援を要請するなんてまさに

“したたか”だからこそ

成しえたことだったようです。

 

 

 

 

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