今回ご紹介する一冊は、
村山 由佳 著
『風よ あらしよ』です。
もうこの表紙。
燃えるような赤いバックに、
勢いのある金文字で
『風よ あらしよ』のタイトル。
紙面いっぱいに描かれた
墨絵の女性の顔は、
憂いの表情にも挑発しているようにも
見えます。
この女性こそが、
明治~大正を生きたアナキスト、
婦人解放運動家でもあった
伊藤野枝です。
28歳という短い生涯を、
習俗打破や女性差別撤廃のために
闘い抜き、狂うほどに男を愛し、
破天荒ともいえる生き方を
貫いた彼女の評伝小説は、
過去にも何冊か世に出されていますが、
今回は満を持して
村山由香さんがそれに挑戦しました。
うしろの「主要参考文献」を見ると、
驚くほどの資料がびっしりと
掲載されているのには驚きです。
それらを読みしだき、
登場人物一人ひとりに思いを寄せ、
新しい小説として執筆。
そこに、あの村山ワールドを
大いに発揮させた恋愛描写、
ラブシーンが随所に
登場するものですから、
それはもう強烈な作品
となっています。
651ページという大作で、
力作ゆえ圧も凄いですが、
伊藤野枝という人物に思いを馳せて、
ぜひ読んでいただきたい一冊です。
目次
村山由佳『風よあらしよ』 あらすじ
どんな恋愛小説もかなわない不滅の同志愛の物語。いま、蘇る伊藤野枝と大杉栄。震えがとまらない。
姜尚中さん(東京大学名誉教授)ページが熱を帯びている。火照った肌の匂いがする。二十八年の生涯を疾走した伊藤野枝の、圧倒的な存在感。百年前の女たちの息遣いを、耳元に感じた。
小島慶子さん(エッセイスト)時を超えて、伊藤野枝たちの情熱が昨日今日のことのように胸に迫り、これはむしろ未来の女たちに必要な物語だと思った。
島本理生さん(作家)明治・大正を駆け抜けた、アナキストで婦人解放運動家の伊藤野枝。生涯で三人の男と〈結婚〉、七人の子を産み、関東大震災後に憲兵隊の甘粕正彦らの手により虐殺される――。その短くも熱情にあふれた人生が、野枝自身、そして二番目の夫でダダイストの辻潤、三番目の夫でかけがえのない同志・大杉栄、野枝を『青鞜』に招き入れた平塚らいてう、四角関係の果てに大杉を刺した神近市子らの眼差しを通して、鮮やかによみがえる。著者渾身の大作。
関東大震災が起きた
大正12年9月1日。
野枝は東京で、
大杉と4人の子どもらとともに、
その惨事に遭います。
方々で火の手が上がり、
人も町も焼き崩れていく中で、
人々は混乱し、
根拠のない噂に惑わされ、
そのどさくさの中、
9月16日、
野枝は危険な異分子として、
大杉と偶然連れていた
幼い甥っこと共に憲兵隊に連行され、
虐殺されてしまいます。28歳でした。
世に言う「甘粕事件」です。
野枝は福岡県今宿の貧しい家に生まれ、
虐げられる村の女たちを
見て育ちました。
古い習俗に反発し、
自分は勉強して男と同等に
なるんだと息まき、
叔父に懇願して東京に出ます。
しかし上野高等女学校を
卒業するときには、
自分の意思とはまったく無関係に
仕立て上げられた縁談によって
結婚することを強いられ、
無理やり入籍させられます。
怒り心頭の野枝は策を弄して
夫の元から逃げ出し、
再び東京に戻ると、
上野高等女学校時代の
英語教師であった辻潤の家に
転がり込み同棲を始めます。
その後、辻潤の勧めもあって
平塚らいてうに手紙を書き、
「青鞜」の一員として迎え入れられて
活躍すると同時に、
女性解放運動の中心的人物
となっていきます。
社会主義を唱える活動家、
アナキストの大杉栄と
出会ったのはその頃でした。
村山由佳『風よあらしよ』 激しい圧で迫りくる野枝の人間性を村山さんの持ち味で描く
とにかく衝撃的な表紙に
651ページというボリューム。
どうだとばかり迫ってくる
本書の中身はしかし、
想像を超える圧で
眩暈がしそうでした。
作者の村山さんは、
ご自身が野枝に重なる部分が
あるとおっしゃっていますが、
情熱的で行動力のある
強く賢い女性という一方で、
わがまま放題に人を巻き込み、
傍若無人に我が道を
貪りゆく人生を、
村山さんの筆致がさらに
生き生きとさせているように思え、
大変読みごたえがありました。
明治時代、野枝の育った環境が
特に九州の貧しい田舎で、
子どもの頃はひとり裸で
海を泳いだりする野性味あふれる
生活を送る中、
同時に古い風習を重んじる
周りの大人を見て、
女は読み書きなどできなくても
ただ男に隷属して子どもを
産み育てていればよいとする
当然のような価値観に反発を
覚えた野枝は、
勉強してもっと広い知識を
得るのだ、
がんじがらめの暮らしは嫌だ、
自由に生きるのだ、
東京へ行くのだと、
そこからすでにもう発想が
規格外でした。
しかも持ち前の行動力で、
思ったことを後先考えずに
次々と実行し、
欲しいものは如何にしてでも
すべて手に入れていく、
仕事でも男でも、
といった生き様は、
見ていて気持ちがよく、
ただただ圧巻で、
そんな無鉄砲に人を踏みつけて
自分のやりたいことだけやって
生きていければ本人は
幸せだろうとも思えますが、
生涯にわたってほぼ極貧生活、
友達も次々と失い、
体もボロボロ・・・。
本人は最愛の男との炉辺の幸せが
あればよいと言っていますが、
そこまでして世の中を
自分の力で変えたいという
野枝の熱い野望と精神力と行動力は、
大正デモクラシーという
時代背景があってこそのもので、
もし令和という今の時代に
彼女が生きていたらどんな人生を
送っていただろうかと
気になってなりません。
村山由佳『風よあらしよ』 男も女も同じだという考え方
野枝のアナキストとしての
主張のベースは、
生まれ故郷の村にあった
組合の生活の再現でした。
誰かの一方的な統率に
よるものではなく、
上下関係のない中で、
お互いがお互いを気にかけ助け合い、
道を外れた者には叱咤する、
このグループから外されたら
生きていけないので、
村人は誰に言われなくとも
ルールを守り、身勝手はしない。
それが野枝の暮らしていた
組合の生活です。
社会主義の誰かの講演に感動して、
とか、誰かの論文に傾倒して、
などで構築された主張ではなく、
野枝のはまさしく、
我が身に浸透していた近隣との
日常生活の相互扶助システムを
理想とするものでした。
しかしそんな理想形の中でも、
やはり女性は女性というだけで
虐げられ、苦しみ諦めさせられていた
現実があり、
それはおかしいだろうと、
野枝は立ち上がったのです。
権力による押さえつけに
とにかく反発し、
労働者や女性の自由を求める
野枝の社会に対する訴えや運動は、
夫でもあり同志でもある
大杉栄と共に、
世の中の風向きを変えつつありました。
そんな活躍ぶりから、
男勝りそのものを想像すると
そうでもなく、
野枝個人の女として部分は
激しく燃え盛っています。
男に対する欲望は常に本能的で、
我が子を捨ててでも
男に走る彼女からは、
獣的なメスの匂いさえ
感じられました。
子どもの世話はろくにせず、
子どもに縛られたくない、
子どもさえいなければ自由なのにと
嘆く姿を見るにつけ、
じゃあどうして産んだのと
言いたくもなりますが、
好きな男の子どもを産むのは
愛の証しとばかり
28歳の生涯で7人も産みます。
それだけでもう女は男とは
違う生き物なのだよと
教えてあげたい気持ちになりました。
男と女で差別をして、
女は女というだけの理由で
貶められるのはおかしいことですが、
男と女は同じだと一括りにして
権利を認めよとするのも
危険に思います。
現に男と女は生理的にも違えば
脳のしくみも違うので、
同じではないけれども、
お互い尊重するべき、
しいては男も女も無関係に
個人は個人としてそれぞれの自由を
尊重されるべき、
という考えは及ばなかったのでしょうか。
そんなところに辿り着く以前に、
それほどまでに、女性だからという
理由での差別が酷かった
ということなのでしょう。
そういう時代を経て、
ようやく今があり、
今もなお一部ではそういったことで
闘ったり苦しんだりしている
職場なり組織があるという現実を、
野枝は大杉とともに
歯ぎしりしながら、
空の上でじれったく
眺めているかもしれません。
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