ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』本のあらすじと書評!映画版も「それでも人生にイエスと言う」

 

今回ご紹介する一冊は、

ヴィクトール・E・フランクル

『夜と霧』

 

もちろん名前は知っているが、

読んだことはないという人が

多いのではないでしょうか。

1946年にドイツ語で出版され、

世界で読み継がれている世界的名著です。

アメリカでは、

『私の人生に最も影響を与えた本』

というランキングトップ10以内に

入っている本とのこと。

著者は、アドラーやフロイトに師事した

ユダヤ人心理学者です。

その彼がナチスの強制収容所に収容され、

そこでの体験を個々人の心の動き・内面に

スポットを当てて解放後綴って完成されました。

決してただの体験記ではありません。

ずば抜けた勇気と、

恐るべき忍耐力により書かれた、

唯一無二の本です。

 

 

 

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被収容者を最も苦しめたもの

ヴィクトール・E・フランクル (著), 池田香代子 (翻訳)

 

〈わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉

「言語を絶する感動」と評され、人間の偉大と悲惨をあますところなく描いた本書は、日本をはじめ世界的なロングセラーとして600万を超える読者に読みつがれ、現在にいたっている。原著の初版は1947年、日本語版の初版は1956年。その後著者は、1977年に新たに手を加えた改訂版を出版した。
世代を超えて読みつがれたいとの願いから生まれたこの新版は、原著1977年版にもとづき、新しく翻訳したものである。
私とは、私たちの住む社会とは、歴史とは、そして人間とは何か。20世紀を代表する作品を、ここに新たにお贈りする。

 

 

字面だけではわからない心理学の専門用語

のようですが、

この「無期限の暫定的存在」であることは、

被収容者の心理を最も苦しめました。

簡単に言うと、

いつまで収容所に入っていればいいのか

分からなかったという事です。

ゴールが分からないという事ですね。

想像を絶する空腹にも、痛みにも、

寒さにも、未来に対する解放という希望があれば、

それは多少なりともその精神的苦痛を

和らげてくれるものです。

ゆえに著者曰く、

収容所内で精神的衛生を保つためには、

未来の希望に目を向けさせることだと分析しています。

収容所内では、まず感情が死ぬといいます。

生命の維持に集中するため、

苦しむ人、死者、なぐられる人を見ても

なんとも思わないような人間になるというのです。

内面の冷淡さ、無関心さは、全て生命の維持のため、

「慣れ」と言う言葉では表現できないような状態でしょうか。

フランクル自身、死体が横たわっているすぐそばで、

平気でスープが飲めるようになってしまっていました。

それでも、「無期限の暫定的存在」であることは

耐えがたいものでした。

だから収容者は未来には何かあると

思って自分を慰めるのです。

例えばフランクルは、この収容所経験を大々的に、

豪華なホールのような場所で大勢を相手に堂々と語ること

を一つの未来の目的としていました。

まさにそれこそ『夜と霧』なのではないでしょうか。

しかし、未来に希望をもって精神的健全さを

保つというのは、

一つの大きな欠点をもつのです。

生きるという事が自分に何を期待するのか?

もし、その未来の目的・希望が突然潰えてしまったら?

人間はどうなるのでしょうか。

もし解放されると期待された日に何も起こらず、

今までの収容所生活が続くようであるなら、

どうなってしまうのか?

答えは簡単、がその人を迎えにいってしまいます。

興味深い例だと、

作曲家及び台本家であった被収容者の例です。

彼は来る3月30日に解放されるという夢

を見たというのです。

「夢で見た」という全く根拠にかける希望にすがり、

結局は何も起こりません。

収容所生活でただでさえ衰弱している体です。

弱り切った体を支えていた精神が崩壊したことで

抵抗力が一気に低下し、彼は死ぬのでした。

更に一例を挙げると、

1944年のクリスマスと1945年の新年の間で、

今だかつてない程の死者数が出たそうです。

なぜか?

多くの収容者が、クリスマスには帰れるだろうという希望

を多少なりとも抱いていたからに他なりません。

他に医学的な変化も、環境的な変化もなく、

クリスマスと新年の間の週で

多くの人が命を落としたのです。

未来への希望が、彼らを殺したのです。

では、絶望している人間には何を伝えればよいのか。

それは、生き続けるということに対して担っている

責任の重さを気づかせることです。

生きていれば、未来に何かが待っている、

そのために自分は存在をしているのだと

知らしめることであるというのです。

少し難しいですが、今は希望が見えなくても、

生きていれば必ず希望がある、

生きていれば彼らを待っている何かがある

ということのようです。

それは、仕事であったり、

愛する人間だったりするのです。

 

 

 

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解放後の心理

 

解放後、収容者はあらゆる抑圧から解放され、

精神的にも健全に戻るかと言えば

決してそんなことはありません。

出口の見えない「無期限の暫定的存在」

であった彼らは、未成熟であった人間は特に、

今まで抑圧されてきた分その権力や暴力を

行使してよいのだと考えてしまいます。

自分がされたことを、他人にもしてしまうということですね。

フランクルが一番いい仲間だと思っていた収容者さえ、

自分の暴力性を抑えられないという暴言を吐いています。

解放後の元収容者を精神的にしっかりさせるには、

やはり未来への目的を持たせることだとしています。

収容所生活ではない分、

「無期限の暫定的存在」であることに

押しつぶされることはないのですが、

収容所で唯一の心の支えになっていた愛する人が

既に亡くなっていたという人は、

精神医学の観点からも、克服は困難なようですね。

それは心理学者としての使命である

とも言っています。

 

 

 

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未来に希望が見えない中でいかに生きていくか

 

『夜と霧』の中で最も共感性の高かった表現は、

上述の「無期限の暫定的存在」です。

つまり終わりが見えないということ。

終わりが見えないというのは、

何でもつらいものですね。

本著では、失業が一つの例として挙げられています。

いつまでこの失業状態が続くのか分からない。

その不安やプレッシャーで自分が壊れていく。

その失業状態が永遠に続くと思われ、

未来を見据えることが出来なくなるからですね。

程度の差は雲泥の差と言えるでしょうが、

現代社会においても未来が見えなくなるような絶望

に襲われることはあります。

最愛の人を失ったり、職を失ったりなど、

家族を失ってしまったりなどでしょうか。

そうした時にも本書は、

ほんのわずかな心の支えになるのではと思います。

まさに『夜と霧』は、

絶望にまみれた希望の物語と言えます。

『夜と霧』のドイツ語版原題にはこうあります。

「それでもなお、人生にイエスと言う」

いかなる状況においても希望を。

それを教えてくれる一冊です。

 

ヴィクトール・E・フランクル (著), 池田香代子 (翻訳)
(出演), ミシェル・ブーケ (出演), アラン・レネ (監督)

 

 

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