村田沙耶香『生命式』本のあらすじと考察!「ポチ」は成人男性を飼う話

 

今回ご紹介する一冊は、

村田沙耶香

『生命式』です。

 

この本は村田沙耶香氏が

ご自身で選ばれた

傑作短編12本の短編集です。

 

葬式の代わりとして、

死者の肉を食べて

性行為を行い命を授かる「生命式」、

 

死者の肉体から鞄などを作る

「素敵な素材」、

奇怪な食物が目白押しな

「素晴らしい食卓」、

 

高齢な女性二人の恋バナ

「夏の夜の口付け」、

高齢な女性二人の

一風変わった関係「二人家族」、

 

眠らない街「大きな星の時間」、

人間を飼う「ポチ」、

性に対する少女の戸惑い

「魔法のからだ」、

 

カーテンが主人公「かぜのこいびと」、

人間味の無い人間「パズル」、

 

野草を食べることは

受け入れてもらえるのか

「街を食べる」、

いくつもの私が生まれていく

「孵化」。

 

どれも凄く変わっていて、

でもとても分かってしまう、

不思議な短編集です。

 

 

 

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村田沙耶香『生命式』 「生命式」

 

死んだ人間を食べる新たな葬式を描く表題作のほか、著者自身がセレクトした脳そのものを揺さぶる12篇。文学史上、最も危険な短編集

「正常は発狂の一種」。何度でも口ずさみたくなる、美しい言葉。――岸本佐知子(翻訳家)

自分の体と心を完全に解体することは出来ないけれど、
この作品を読むことは、限りなくそれに近い行為だと思う。――西加奈子(作家)

常識の外に連れ出されて、本質を突きつけられました。最高です。──若林正恭(オードリー)

サヤカ・ムラタは天使のごとく書く。人間のもっともダークな部分から、わたしたちを救い出そうとするかのように。強烈で、異様で、生命感あふれる彼女の作品は、恐ろしい真実を見せてくれる。ふと思うだろう――他の本を読む必要があるのか、と。
――ジョン・フリーマン(「フリーマンズ」編集長)

 

 

今この世界にある

「葬式」という式典が、

「生命式」という式典に

置き換わった世界のお話です。

 

「生命式」では、

参加者が亡くなられた方の遺体を食べ、

別の参加者と性行為をして

子を授かるというものです。

 

おそらくこの説明を

聞いただけで不快感を抱く人が

少なからず居ると思います。

 

私もその一人です。

 

ですが、

この話はただ過激で

不謹慎なことを

書いてあるのが面白い

というようなものではなく、

 

むしろ過激で不謹慎だと

感じること自体に対して、

それはなぜかと問いかける

内容になっています。

 

例えば、主人公は幼少期に

食べてみたいものは

何かという話で「人間」と答え、

周囲の人たちから叱責を受けます。

 

主人公はなぜ自分が

責められなければならないのか

と周囲に問います。

 

しかしそんなことを

尋ねれば尋ねるほどに、

より周りの人たちは

主人公を責め立てるのです。

 

そして時は流れ、

生命式が市民権を

得るようになると、

今度は生命式に対して

抵抗してしまう主人公を

周囲は奇異な目で見ます。

 

主人公は周囲の勝手な評価に

腹を立てますが、

しかしどうすることもできません。

 

なぜ人を食べることに

抵抗があるのか、

明確に説明できる人が

どれほど居るのでしょうか。

 

それなのに、

人を食べることを良しとする

人が居たら、

大多数の人間がその人を

差別すると思います。

 

そんな矛盾した無責任な残忍さと、

その残忍さが向けられる対象は

まるで流行りのように

移り変わっていくやるせなさを、

この物語は感じさせてくれました。

 

 

 

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村田沙耶香『生命式』 「ポチ」

 

二人の少女が、

一人の成人男性に

ポチという名前を付け、

犬のように飼うというお話です。

 

ポチはしきりに

「ニジマデニシアゲテクレ」と言い、

作中ではそれは鳴き声として

扱われました。

 

私がこの話を読んで

思い出したのが

「100の思考実験」という本

に出てくる言語に関する思考実験です。

 

例えば、

私たちは「うさぎ」と言えば

うさぎを共通認識として持てます。

 

しかし、友達と

「俺達の間ではうさぎをリスと言い、

リスをうさぎと言おう」

と決まりを作ったとします。

 

すると、うさぎと言えば、

いわゆるリスを共通認識

として抱くようになるのです。

 

では、「ニジマデニシアゲテクレ」とは

何を共通認識として持つための

言葉なのでしょう。

 

着目したのは、

この言葉が鳴き声として

扱われていることです。

 

犬の鳴き声であれば、

「ワン」という言葉自体で、

私たち人間が共通認識を

抱くことはできません。

 

激しくワンと言えば怒っていて、

優しく「ワン」と言えば

甘えているのだと認識できます。

 

つまり「ワン」という言葉自体は

空っぽなのです。

 

「ニジマデニシアゲテクレ」も

同様に空っぽの言葉です。

 

違う所は、言い方等にすら

意味が無い所です。

 

ポチが何度「ニジマデニシアゲテクレ」

と言おうが、

何の共通認識も抱けないのです。

 

なぜなら、少女二人は会社の部下

ではありませんし、

そもそも会社とは全く違う環境に

今のポチは身を置いているからです。

 

つまり私はこの話を読んで、

自分が社会的に身を置いている環境

に適応することは

言うまでもなく大切ですが、

 

そこに固執するあまり

自分の人間性を捨ててしまうと、

ポチのように、

あまりにも悲しい人間に

なってしまうと思いました。

 

 

 

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村田沙耶香『生命式』 「孵化」

 

これはいわゆる

ペルソナのお話です。

 

この話のポイントは、

主人公が周囲の環境に

合わせて人格を瞬時に

形成してしまうということです。

 

それは誰しもが行ってる

ようなレベルではなく、

多重人格と言っても

過言ではないほどに

複数の独立した人格を

形成してしまうのです。

 

その姿は恐怖を覚えてしまうほど

に狂気を孕んでいて、

それと同時に自分にも似た一面

があるという共感が、

一層その恐怖を

加速させてしまいます。

 

この話を読むと、

私は自分自身が中学、高校の頃に

こうしたキャラ付けに

悩まされたことを思い出します。

 

中学に入ると

「明るく人当たり良く」

ということを意識し始め、

本音を言うより全体のノリを

重要視するようになりました。

 

高校でもそれを続ける方が

周りの人たちも嬉しいのかな

と思っていました。

 

しかし、どうにも周りの人たち

の心理を読み取ることができず、

私は自分の社会性や人間性の乏しさ

に苦しむ事になりました。

 

今この文章を読んでくれている

人の中にも、

同じようなことで苦しんでいる人が

居られるのかなと思います。

 

そんな人に送りたいのが、

井上雄彦さんの「リアル」

という漫画に出てきた、

次の言葉です。

 

「いつが本当の自分なんだ?」

 

これはプロバスケットボールの

入団試験において、

 

「個人プレイではなく、チームプレーをみるのであれば先に言ってほしかった。言ってくれればそのようにプレイしたのに」

 

と言った選手に

監督が投げた言葉です。

 

都合の良い嘘の自分を作ることも、

自分の中にある自分らしさを

貫くことも、

 

どちらも本当の自分だということ

だと私は解釈しました。

 

だからこそ、

この「孵化」の主人公も、

ずっと人格が定まって

いないのではなく、

 

むしろずっと一貫した性格を

していると見ることもできる、

そんな話だと思いました。

 

 

 

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