【書評】『孔丘』宮城谷昌光著のあらすじと感想!おすすめ新刊本

 

今回ご紹介する一冊は、

宮城谷 昌光(みやぎたに まさみつ)

『孔丘(こうきゅう)』

です。

 

神格化された孔子を書こうとするから書けなくなってしまう。失言があり失敗もあった孔丘という人間を書くのであれば、なんとかなるのではないか

 

これをテーマに新たな孔子像を

ありのままに書いた

構想三十年の大河小説です。

 

このテーマだけでも興味をそそられ、

すぐにでも読みたいという衝動に

駆られるのではないでしょうか。

 

私もそのうちの一人でした。

 

あとがきにも書かれているのですが、

著者は50代と60代にそれぞれ一度、

孔子を小説に書けないかと

構想したものの、

あまりにも孔子の生涯が

正しく書かれている文献が少なく、

その度に断念していたと言います。

 

ところが70歳を過ぎたところで、

最初に記載した通りの

発想の転換があり、

多くの良い「割り切り」を

重ねながらこの作品を

書き上げたそうです。

 

そんな著者の苦悩を感じ

ながら読み進めていくとより

この作品を楽しめるのでは

ないかと思います。

 

 

 

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宮城谷昌光『孔丘』 孔丘が学問を志した理由

宮城谷 昌光 (著)

 

人間・孔子が生きている!
「論語」に描かれる神格化された姿ではなく、不運や失意にも苛まれた男の波瀾万丈を書いた大河小説。構想三十年にして最高傑作誕生!

 

 

孔丘の母である顔徴在は、

様々な折り合いの悪さから

当時まだ小さかった孔丘を

置いて孔家を去りました。

 

その母は武勇を烈しく

憎んでいたことから、

孔丘は十五歳の時に

「自分は決して武人にはなるまい、学問で身を立てるべく懸命に学ぼう」

という志を持つことになるのです。

 

それは決して孔丘自らの意志ではなく、

母の感情を引継ぎ、

擁護していくという理由が

きっかけであるのが

私にとってはとても意外でした。

 

しかし、

逆を言うとこのような理由で

最終的には学問の人として

名を立てることができたというのは、

 

孔丘の想いの強さ、

実直さがあったからこそ、

と言えるのではないでしょうか。

 

父は孔丘が三歳の時に亡くなり、

容姿すら全く知らず、

かつ母とも離れ離れで暮らし、

孔丘が二十四歳のときに

亡くなってしまいます。

 

このような波乱万丈な

幼少期であったことは、

もちろん学校の教科書などには

載っておらず、

この本を読んで初めて

知ることができました。

 

その人物の生い立ちを知ることは

少なくともその人物に

感情を移入できるきっかけになるため、

歴史を知るためには欠かせないもの

だと実感することができました。

 

 

 

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宮城谷昌光『孔丘』 詩と書との出会い

 

孔丘はある老司書との出会いから

「詩」と「書」を学ぶことになるのです。

 

孔丘はまずひたすら

書き写すことから始めました。

 

その学びの中である言葉

と出会うのです。

 

それは「惟敲学半(いこうがくはん)」

という言葉でした。

 

人を教えることは、

半分は自分が学ぶことだ、

という意味です。

 

この言葉を知って孔丘は

涙を流したと言います。

 

さらには、もっと学ぶためには

どうしたら良いか考え続けていた孔丘は、

この言葉と出会ったことで

道が啓けたと言います。

 

このとき孔丘は三十歳。

まさに「人を教えておのれも学ぶ」

という道を択んだ瞬間でした。

 

もっともっと学びたい意欲

があったからこそ、

人生を決める言葉に出会い、

それはある意味必然的な出会い

であったのでしょう。

 

運命とも呼べるこのストーリーは、

読んでいて非常に

心踊らされるものでした。

 

 

 

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宮城谷昌光『孔丘』 孔丘七十歳のことば

 

「心の欲する所に従って、矩をこえず」

 

自分の思い通りにおこなっても、

人の法則を越えなくなった

という意味です。

 

簡単に言うと、自由自在を

得たということだそうです。

 

四十歳で惑わなくなった自分だが、

自分ではどうしようもない

天命があることを五十歳で知り、

その天命に従っていると、

六十歳では、

どれほどいやなことも避けなかった。

 

それゆえ、七十歳でこういう心境

に達したのです。

 

孔丘という偉大な人物ですら

七十歳になってやっと

自由を得られたということは、

どれほど人生が大変で、

学び続ける必要があるかを

痛感させられます。

 

逆を言うと、

孔丘のように学び続けたからこそ、

七十歳には自由を得られ、

充実した人生を送れたのでは

ないかとも解釈ができます。

 

後世、亜聖と呼ばれた顔回が

表現した孔丘像がすべてを

物語っています。

 

「先生は、仰げば仰ぐほど、いよいよ高い。きろうとすればするほど、いよいよ堅い。まえにいたとみえたのに、忽然とうしろにいる。先生は順序良く、うまく人を導く。文学でわたしを博くし、礼でわたしをひきしめる。もうやめようとおもっても、それができない。すでにわたしの才能はつきていて、高いところに立っている先生に従ってゆきたくても、手段がない。」

 

 

宮城谷 昌光 (著)

 

 

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