佐藤春夫『佐藤春夫台湾小説集-女誡扇綺譚(じょかいせんきたん)』あらすじと感想!

 

今回ご紹介する一冊は、

佐藤 春夫

『佐藤春夫台湾小説集-

女誡扇綺譚(じょかいせんきたん)』

です。

 

佐藤春夫氏は

近代日本の詩人・作家

というより、

『田園の憂鬱』などで

知られる文豪と呼んだほうが

いいでしょう。

 

ロマンティックで

叙情的な詩文

を連ねる幻視者であり、

江戸川乱歩氏に

 

「(芥川龍之介・谷崎潤一郎とともに)

日本探偵小説中興の祖」

と称される、

探偵小説の実作者でも

ありました。

 

また門弟三千人とも言われ、

多くの弟子を育てました。

 

その中には太宰治氏や

吉行淳之介氏、

稲垣足穂氏など多彩な面々が

含まれています

(例えば、

佐藤氏の実話怪談(?)

「化物屋敷」に登場する

石垣青年は若き日の稲垣足穂氏

なのだそうです)。

 

そんな佐藤春夫氏に

「台湾もの」と呼ばれる

一連の作品があります。

 

私生活で問題を抱えていた

佐藤氏が、

それから逃れる意図もあって、

三ヶ月ほど友人の招きに応じて、

台湾に遊んだ際の経験を

もとに書かれた作品群です。

 

日本だけでなく台湾でも

高く評価されているという、

 

『女誡扇綺譚』を筆頭とする、

これらの作品群が

今回のテーマです。

 

 

 

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佐藤春夫『女誡扇綺譚』 探偵小説

 

 

「なぜもっと早くいらっしゃらない」?
廃墟に響いた幽霊の声――
100年前、「田園の憂鬱」で一躍文壇に躍り出ながら、極度の神経衰弱に陥った佐藤春夫は台湾へと旅立つ。そこで目にしたもの、感じたものは、作家の創造力を大いに刺激した。台湾でブームを呼ぶ表題作など、台湾旅行に想を得た、今こそ新しい9篇。ミステリーあり、童話あり。異国情緒のなかに植民地への公平なまなざしと罪の意識がにじむ。文豪・佐藤春夫評価に一石を投じる文庫オリジナル企画。

 

 

物語の語り手(わたし)は

日本人の新聞記者で、

台湾人の友人(世外民)

の案内で台南市の西の外れ

にある廃市を見物に来ます。

 

そこで「荒廃の美」を

わかりかけたように思ったり、

「アッシャ家」に

匹敵するような

「荒涼たる自然」を

眺めたりするのですが、

 

その先の廃港で

「わたし」たちは、

かつては豪邸だったに

違いない廃屋を見つけるのです。

 

語り手らは、

そのまま邸内に

入り込むのですが、

そこへ上の階から声が掛かる。

 

「どうしたの? なぜもっと早くいらっしゃらない」。

 

人がいると考えた

二人は外へ出るのですが、

行きあわせた老婆から、

それは死霊の声に違いない

と聞かされるのです。

 

そうして二人は老婆から

声の主にまつわる

因縁話を聞かされる、

とこのまま終われば

怪談なのですが、

そうは行きません。

 

先に述べたように

探偵小説家でもあった

佐藤氏描く主人公は、

この一件を合理的に

解釈しようとするのです。

 

語り手の推理は簡単なもので、

例の廃屋は若い男女の、

人目を忍んだ逢引の場

だったに違いない、

というものです。

 

この推理を主張したために

世外民と対立した語り手は、

もう一度廃屋に潜り込んで、

扇(タイトルに有る女誡扇)

を拾ったりするのですが、

 

やがて廃屋で若い男が

自殺しているのが見つかる。

 

死体が見つかったきっかけが、

若い娘のお告げだと

知った語り手は、

 

その娘こそ、

声の主に違いないと考え、

化けの皮を剥いでやろうと

押しかけていくのですが……。

 

俗に探偵小説の三要素として、

冒頭の怪奇味、

中盤の論理性、

結末の意外性などと言いますが、

 

『女誡扇綺譚』

この三要素を備えている

のは見てのとおりです。

 

死霊の声という怪異が

冒頭で起こり、

この謎に探偵役が

合理的な推理を持って挑み、

更に――といったところですが、

 

結末の意外性は実際に

読む方のために

残しておきましょう。

 

いずれにせよ、

この時点で探偵する

という行為が必ずしも

良いことではない、

と客体化されているのは興味深い。

 

考えてみれば

当たり前のことなんですが。

 

 

 

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佐藤春夫『女誡扇綺譚』 植民地の文学

 

とは言え、

本書をミステリとしてだけ

読んで済ますわけ

にはいきません。

 

『女誡扇綺譚』

書かれた当時、

台湾は日本の植民地でした。

 

ですから、

本書は植民地について

書かれた文学です。

 

植民地文学とは

本来宗主国の言語を用いて、

植民地側の住人によって

著された作品を指すようですが、

 

本書も広義の植民地文学と

呼んで良いでしょう。

 

佐藤氏は「傾向詩」など

発表したこともあり、

当時の知識人らしく、

決して日本政府に対して

従順な人では

ありませんでした。

 

日本の台湾支配に対しても

批判的な視点を有しており、

本短編集にも収録されている

『魔鳥』では、

 

台湾原住民に対する

(明言はされていませんが)

日本軍の蛮行が

描かれています。

 

『女誡扇綺譚』

ある女性の死を持って

終わります。

 

その死の理由が日本人との

結婚を強要されたから、

というあたりに

植民地文学としてみた場合

の本書の焦点の一つが

あるでしょう。

 

あるいは、その死の理由が

新聞によって

「不都合」なもの

とされたというあたりに。

 

その他には

物語のキーである

扇に書かれた「女誡」。

 

女誡とは女性が守るべき

いましめというような意味

ですが、

 

物語で扇に書かれていたものは

「貞女二夫に見えず」

式の言葉です。

 

これを作中の

二人の女声の運命に

引き付けて考えること

もできれば、

 

作者である佐藤氏の

女性問題に関連付けて

読むことでもできる。

 

『女誡扇綺譚』

様々な読み方が

できる作品なのです。

 

 

 

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佐藤春夫『女誡扇綺譚』 「魔鳥」「奇譚」など

 

短編集に含まれている、

他の台湾ものについても

軽く触れておきましょう。

 

「鷹爪花」「旅びと」などの

一連の作品はほぼ作者と

同一視してよい視点人物

による旅のスケッチ。

 

その中には旅の十年後に

起きた霧社事件を予感させる

「霧社」や、

 

台湾の民族主義者との

ヒリヒリとした会話を含む

「植民地の旅」などが

含まれています。

 

「魔鳥」は

友人森丑之助氏から

聞いた話を元にしたもので、

 

現地の迷信を語るよう

でいながら、

そこに日本軍の蛮行が

反映しています。

 

「奇譚」は日本人植民者を

襲った悲劇を描いた実話です。

 

 

 

 

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