正岡子規『墨汁一滴』作品あらすじと感想!命への向き合い方を教えてくれる

 

今回ご紹介する一冊は、

正岡 子規

『墨汁一滴』です。

 

坊主頭の少しだけ気難しそうな横顔。

正岡子規を思い出す時、

この姿を思い浮かべる人も

多いのではないでしょうか。

 

正岡子規は俳人、歌人、

国語学研究家として、

俳句、短歌、評論、随筆、小説など

多方面で創作活動を行って

日本の近代文学に多大な影響を

及ぼしました。

 

明治を代表する文学者「正岡子規」

の周りには「夏目漱石」などの

文学者が絶えずいたと言われています。

 

結核を患い30代で亡くなっており、

作品の多さからも若くして

亡くなっていたことに驚きを覚えました。

 

『墨汁一滴』は子規が病床で書いたもの

とされています。

 

俳句、明治を代表する文学者

ということで子規に関連する書物は

敷居が高く感じましたが、

思い切って手に取ると子規の人間味

あふれる人物像に惹かれていきました。

 

ぜひ子規の魅力に触れてみることを

おすすめしたいと思います。

 

 

 

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正岡子規『墨汁一滴』論破、瑞々しく、そしてユーモラスに

 

明治時代の俳人・歌人・国語学研究家である正岡子規の随筆。1901(明治34)年に「日本」に164回にわたり掲載された。寝返りを打つこともできない病状にありながら、毎日墨汁一滴分、1行から20行の文章を書き続けたもの。すべての楽しみがなくなり、今や飲食の楽しみも半減したとぼやく日もあれば、一人の歌人の作品を執拗に批判する日が続くこともある。病さえ客観視し、「写生」する子規の強靱さが感じられる。

 

正岡子規『墨汁一滴』

明治34年1月16日から同年の7月2日まで

164回にわたり新聞『日本』で

連載されたものです。

 

この『墨汁一滴』書く頃は

病状も進み床に伏していました。

 

俳句や短歌などに対する評論、

俳句の創作、日々思うことや

出来事などが子規の眼を通して

瑞々しく時には冷静に、

ユーモラスに描かれています。

 

評論する場面では攻撃的に論破する

子規が見られますし、

学校の試験についての言い訳は

思わずクスリと笑ってしまいます。

 

「思ひくし居るほどにふと考へ得たるところありて終に墨汁一滴といふものを書かましと思ひたちぬ。こは長きも二十行を限りとし短きは十行五行あるは一行二行もあるべし。病の間をうかがひてその時胸に浮かびたる事何にてもあれ書きちらさんには全く書ざるには勝りなんかとなり。」

 

病状と相談しながら時には長く、

時には一行の日もありながら

書かれている『墨汁一滴』

 

病と闘い受け入れる子規の晩年を

知ることができる随筆の一つとなっています。

 

 

 

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正岡子規『墨汁一滴』瑞々しい感性は衰えることはない

 

子規の病状は進み歩くことも、

起き上がって座っていることも

難しくなっていました。

 

その子規が病床に横になって

読んだ歌があります。

歌の前に子規はこう述べています。

 

「夕餉したため了りて仰向けに寝ながら左のほうを見れば机の上に藤を活けたるいとよく水を上げて花は今を盛りの有様なり。艶にもうつくしきかなとひとりごちつつそぞろに物語の昔などしのばるるにつけてもあやしくも歌心なん催されける。其道には日ごろうとくなりまされたればおぼつかなくも筆をとりて」

 

 

おそらく子規は病床から机の上に

飾られた藤の花を見ます。

畳に垂れ下がる藤の花は

畳に届きそうで届かない。

 

その藤を見ながら昔の思い出を

思い出す子規の様子が伺えます。

そして子規は短歌を十首作歌します。

 

『瓶にさす藤の花ぶさ短かればたたみの上にとどかざりけり』

 

この歌は子規が病床から藤の花を

見ている様子がわかります。

『去年の春亀戸に藤を見しことを今藤をみて思ひいでつも』

 

短い歌から子規の思いが

わかるような気がしました。

 

子規の視点は病床からでも

瑞々しく花を描写してることがわかり、

病に臥せる日々でも感性は

決して衰えてはいないと感じます。

 

 

 

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正岡子規『墨汁一滴』 命への向き合い方を教えてくれる正岡子規という人

 

子規の俳句や短歌や随筆に対しての

評論も子規らしいと思いましたが、

評論や俳句の創作の他にも

包帯を交換するときの痛みの紛らわせ方

について述べる子規の視点など、

 

何気ない日常の描写に子規のお茶目さ

と人間味あふれるものを感じました。

 

しかし死を受け入れ一見飄々と

見える子規がふと漏らしてしまう一文が、

子規は病に臥せっていて病状が

よくなく死に近づいているのだと

いうことを思い出させます。

『この頃は肺の中でブツブツブツブツといふ音が絶えず聞える。これは「怫々々々」と不平を鳴らして居るのであらうか。あるいは「仏々々々」と念仏を唱へて居るのであらうか。あるいは「物々々々」と唯物説でも主張して居るのであらうか。』

 

と書かれている一文では

肺が病魔に侵されていることが

わかります。

 

なにより

『誠に我枕もとに若干の毒薬を置け。而して余が之を飲むか飲まぬかを見よ。』

 

この一文で子規が抱える心の奥底が

少しだけ見えたような気がして

ドキリとしました。

 

この『墨汁一滴』は子規という人の

重篤な病に侵されても決して眼を背けず、

命への向き合い方を

教えてくれる本だと思いました。

 

 

 

 

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