中島京子『樽とタタン(新潮文庫)』感想とあらすじ!おすすめの不思議な世界

 

今回ご紹介する一冊は、

中島京子

『樽とタタン』

です。

 

この本を手に取ったときに

まず思ったのはスイーツの

「タルトタタン」です。

 

つい食べたくなって

京都にある「タルトタタン」

のお店を検索してみたり

もしました。

 

中島京子さんの

『樽とタタン』

全く違う内容で

読み始めて何かしらの

不思議な世界を感じました。

 

坂の下にあった1軒の

喫茶店は懐かしさも感じる

だけでなく

そのコーヒーの香りに

ついつい誘われて

 

彼らの話についつい

耳を傾けたくなる

そんなカフェとは

ちょっと違った趣があり

懐かしくなります。

 

店の隅にある大きな

赤い樽の中は

狭い場所にも関わらず

本を読んだり、

じっとしていたりして

幸せを感じていた少女が

色々な話を聞いて

創造したりもします。

 

白いひげの小説家が

その少女のことを

『樽とタタン』と

名付けてから

この物語は始まります。

 

一緒に不思議な世界の扉

を開けてみましょう。

 

 

 

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中島京子『樽とタタン』 「はくい・なを」さんの一日

 

 

少女“タタン”が喫茶店で出会った、ヘンテコで愛おしい大人たち-。心にしみる最高のラスト! 『小さいおうち』 『長いお別れ』の著者が贈る、いまだから読みたい癒され小説No.1 。

今から三十年以上前、小学校帰りに毎日通った喫茶店。店の隅にはコーヒー豆の赤い大樽があり、そこがわたしの特等席だった。常連客は、樽に座るわたしに 「 タタン」とあだ名を付けた白髪白ひげの老小説家、毎回違う女の子とモーニングを食べている歌舞伎役者の卵、謎の生物「サケウシ」を研究する学者に、いつも頭にヘッドフォンを載せた無口な学生と、クセ者揃いだ。学校が苦手で友達もいなかった少女時代、大人に混ざって聞いた会話には、沢山の「本当」と「噓」があって……。 『小さいおうち』 『長いお別れ』の中島京子が贈る、懐かしさと温かな驚きに包まれる喫茶店物語。【解説・平松洋子(エッセイスト)】

 

 

「タタン」と

白いひげの小説家は

喫茶店の常連の一人でした。

 

タタンはもともと

想像するのが好きで

自分には姉妹もいないのに

双子の姉がいることを想像し

 

お菓子作りが

うまいのだろうと

言われたときには

ついうなずいてしまう

くらいです。

 

小説家に「はくい・なを」

という人物について

書いてほしいというか

「狐狸月報」にて新作を

書いてほしいと

依頼してきたのです。

 

その女性編集者は

両親の記憶もない

彼女の生い立ち、

育ての母親の死の原因が

嚥下性肺炎であったこと

などについて

話していました。

 

亡くなる前にその母親が

発した言葉から

手紙の内容を

紐解いていくのです。

 

11月20日は

何の日かというと

「いい乾物の日」で

そこからも

はっきりしたこと

が分からなかったのです。

 

女性編集者のタネコは

「あちらでもこちらでも人は逝き、残されたものは何も知らないまま生きている。」

 

それが現実だと

思うようになったと

樽の中でタタンは

聞いていただけでしたが

今になってはっきりと

その言葉を

思い出すそうです。

 

その後、白いひげの小説家は

「羽咋直さんの1日」

という小文を執筆

したのです。

 

 

 

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中島京子『樽とタタン』  ぱっと消えてぴっと入る

 

タタンは3歳から12歳まで

団地で暮らしていました。

 

団地はまるでアリの巣にも

似ていて

道を1本間違えると帰れなく

恐怖がして怖かったのもあり

 

幼稚園を1日で退園し

小学校になるまで

共働きの両親の代わりに

祖母が面倒を

みてくれていました。

 

昼食後に祖母は

「食べてすぐに寝ると牛になるけんどな」

といいながら

昼寝をします。

 

 

その後、一緒に散歩しているとき

にタタンは

「牛にならなかったね」

というと

祖母が目を細めながら

話している姿を想像すると

なにかしらホッとします。

 

その祖母は

「牛も人も年を取れば、みんな、どうしたって死ぬんだで」

 

と死期が近づいているのも

あるのか語り始めたのです。

 

「おれはなあ、死んだらそれっきりだと思っている」

「電気が消えるみてえに生きていたときのことがみんな消えるんじゃねえかと、おれは思ってんだ」

 

という祖母の死生観では

来世を信じていないようでした。

 

タタンと同じように

私も心のどこかで

来世はあると信じています。

 

人は確かに電気が

消えるように

命の日を消すのかも

しれませんが

誰かの心の中に

「ぴっと、入ってくる」

ものなのかもしれません。

 

 

 

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中島京子『樽とタタン』 サンタ・クロースとしもやけ

 

冬休みは春休みのように

新学期が始まると

何が起こるのだろうという

不安感や夏休みのような宿題

に苦しめられることもなく

 

クリスマスとお正月という

イベントもあるので

小学生のタタンの楽しみな

休みなのです。

 

サンタ・クロースに会う前

の冷え性のタタンは

冬になるとかならず

重度のしもやけに

襲われていたので

寒くなり雪が降ると

しもやけになり

 

できた水泡が破れて

体液が飛び出し

「しもやけが崩れる」

という状態になるので

雪が降る冬は好きでは

ありませんでした。

 

タタンはしもやけが

つらかったのもあり

彼にそのことを聞いてみると

 

「しもやけと友達になること」

を教えてくれたのです。

 

それはとても簡単なことで

その後のタタンの人生

において

しもやけにならなくなり

サンタ・クロースと

強く結びつくことと

なったのです。

 

そんなサンタ・クロースが

秋田に派遣されたときに

“なまはげ”に出会い、

 

日本には悪い子を

おしおきするために

現れるので

優しいサンタ・クロース

だけで十分なことなども

話してくれたのです。

 

秋田といえば秋だと思い

再度やってきたときに

カラフルな木をみて

 

「木と仲良くなれば孤独でなくなる…」

 

という言葉は

悩みの多い私にも刺さり

「仲良くなる」は

重要なのだと

実感したのです。

 

 

 

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