今回ご紹介する一冊は、
横田 順彌(よこた じゅんや)著
『幻綺行 完全版』
です。
「快男児」なんて
言葉がまだ死語ではなかった明治の頃、
自転車による世界一周無銭旅行を
成し遂げた冒険家がいました。
その名を中村春吉。
明治三十五年横浜港を出発、
アジア、ヨーロッパを経て、
アメリカに渡り、
翌年帰国しています(出典:Wikipedia)。
実在の人物である彼を主人公に据え、
明治期のSFの紹介者でもある
横田順彌氏が自在に筆を振るった
探検SFの連作集が、
今回ご紹介する『幻綺行 完全版』です。
完全版と銘打たれているのは、
初刊本(徳間書店)発売以降に雑誌上に発表され、
単行本未収録となっていた二作も収録して、
中村春吉もの短編を
全て網羅しているからだそうです。
この辺、編者の日下三蔵氏の執念を感じますね。
その他にも、古書を模したその上に、
ほんものの古書にあるような
傷や汚れまで付け加えた、
こりまくりの装丁も、
愛好家の間で話題になっているようです。
では内容に入っていきましょう。
目次
横田順彌『幻綺行 完全版』「聖樹怪」
その男がゆくところ、必ずや冒険と怪奇が待ち受ける。
男の名は中村春吉。
明治の世に自転車で世界一周無銭旅行を決行した快男児である。
困っている人間を見捨てておけぬ性分ゆえによく事件に巻き込まれる。
そんなバンカラの権化のような男が、
蘇門答剌(スマトラ)で面妖な植物と遭遇したのを皮切りに、
波斯(ペルシヤ)では怪魔像と対決し、
露西亜(ロシア)では突如現れては消えるバラバラ死体の謎に挑む。
中村春吉が求めるのは秘宝にあらず名誉にあらず。
ただひたすらに未知なるものを求めて探検と旅を続けるのみ。
明治の世界を舞台に冒険譚とSFを見事に融合させた傑作が、
単行本未収録の二篇を加えた完全版として令和の世に甦る!
「わが輩が、(……)スマトラ島探検の途にのぼったのは、明治三十六年四月十日のことであった。/理由はほかでもない。少々、剣呑なことではあったが(……)」。
お話の雰囲気をつかんでもらうために、
第一話『聖樹怪』から冒頭の部分を
少し引用してみました。
ずっとこんな感じの明治の「快男児」らしい、
少々古めかしい一人称が続きます。
これを面白いと思えるかで、
評価は分かれるでしょう。
筆者は大好きなんですが。
そんなわけでスマトラに到着した
春吉はいろいろあって、
自殺寸前の娼婦(雨宮志保)を救うため、
人から預かった五百円を売春宿の主人に
叩きつけてしまいます。
どう工面をしたものかと思い悩む春吉の前に、
一人の日本人青年が現れて、
彼に助力を請います。
石嶺省吾というこの青年、
人跡の絶えたボルネオの密林深くに
山田長政の秘宝が眠っていると確信していて、
ともに目指そうと誘うのです。
金のための冒険など邪道と考える春吉ですが、
それはそれ背に腹は替えられない。
こうして同道を願った志保を含めた三人が、
死の密林を目指すことになるのです。
横田順彌『幻綺行 完全版』探検SF
春吉、志保、石嶺くんの三人が目指すのは、
一時期その身を危うくした山田長政が
もしもに備えて、
密林深くに築いた秘密都市。
大いに栄えたと言われながら、
わずか数ヶ月のうちに全滅したという、
この都市の廃墟に艱難辛苦を乗り越えて、
ようやく彼らは到着します。
そうして、ある一種類の異様な植物を除いては、
獣も鳥も、虫さえ存在しない
静寂の空間に彼らは踏み込むのですが……。
この怪植物が何をしでかすかは、
読んでのお楽しみにしておきましょうか。
が、その正体について、
志保らが宇宙から着たのではないかと
推測を巡らせるところでお話は終ります。
探検SFと銘打たれている以上、
当然のことですが、本作以外も、
事件の真相は異次元世界であるとか、
人間を退化させる薬品であるとかの
SF的ガジェットが持ち出されます。
この辺り、秘境冒険ものと言えば
最初に思い出される香山滋氏の
「人見十吉」シリーズ
や小栗虫太郎氏の
「折竹孫七」シリーズとはひと味違う。
というか、
たとえば太平洋の直径百海里の
大渦巻きなんてものを出しても、
小栗氏の頃は、SFに分類されるような話
にはならなかったのだなあと、
妙な感慨を覚えますね。
横田順彌『幻綺行 完全版』明治SF
本作は押川春浪氏らの手になった
明治期の冒険小説のパスティーシュ
またはオマージュを意識した作品です。
作者の横田順彌氏は古書のコレクター、
戦前のSFの研究者としても知られていて、
その流れで明治期の文化の研究でも有名でした。
その横田氏にとって明治SFは
「いつでも、とても楽しく書ける」(巻末のあとがきから)
ジャンルだったそうです。
明治期の冒険小説は今読むと
新鮮ではあるのですが、
ハードルは結構高い。
文体もありますが、
露骨な男尊女卑や西洋人コンプレックスが
目について鼻白むこともあります。
その点、明治の空気を伝えてくれる
本書は良い導きの書になる
のではないでしょうか。
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