湊かなえ『カケラ』あらすじと感想!美醜とは正解のないパズルのピースである

 

今回ご紹介する一冊は、

湊かなえ

『カケラ』

です。

湊かなえさんの作品は、

作品中にアンテナを張り巡らし、

一生懸命に頭をフル回転させながら

集中して読むのが一番。

独特の謎解きのようなスタイルは、

時に読者を苛立たせ、

時に暴走させ、時に混乱を招くかもしれません。

しかしパズルのピースを合わせていくかのように、

糸口がつかめればそういうことか

とスッと納得ができ、

そこから、ただの点と点だったものが

線でつながり面に広がり、

さらに裏返しにもなったりまた戻ったり、

そこを楽しむことこそが湊作品を読む醍醐味

であると私は感じています。

この「カケラ」もまさに、

さらりと読み進められるかといえば、

そうではない作品の一つで、

そうきたか、まさかこうだったとは、

とどっぷり物語の中に浸りきって

一つひとつのカケラを片手に

パズルを解いていきました。

 

 

 

 

 

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湊かなえ『カケラ』あらすじ

 

 

あの子は、なぜ自殺したのか――? 美容クリニックに勤める医師の橘久乃は、久しぶりに訪ねてきた幼なじみから「やせたい」という相談を受ける。カウンセリングをしていると、小学校時代の同級生・横網八重子の思い出話になった。幼なじみいわく、八重子には娘がいて、その娘は、高校二年から徐々に学校に行かなくなり、卒業後、ドーナツがばらまかれた部屋で亡くなっているのが見つかったという。母が揚げるドーナツが大好物で、それが激太りの原因とも言われていた。もともと明るく運動神経もよかったというその少女は、なぜ死を選んだのか――? 「美容整形」をテーマに、外見にまつわる自意識や、人の幸せのありかを見つめる、心理ミステリ長編。

 

子どもの頃から美人で有名だった

美容整形外科医が、

一人の少女の不自然かつ不可解な死について

真相を究明していく物語です。

その少女とは、美容整形外科医、

久乃の故郷の同級生の娘。

彼女が、母親の作る大好きだったドーナツ

しかも大量のドーナツに囲まれて亡くなったのでした。

人々の間には勝手な憶測で様々な噂が飛び交います。

それを一つひとつ分析し真実を突き止めるために、

久乃は関係者に次々と会って話を聞いていきます。

展開は、久乃に対して、

聞かれた人が一章につき一人ずつ、

一方的に独白するスタイルで、

作品の最初から最後まですべてが誰かのセリフ

という構成です。

それぞれが自分の主観で語るので、

一つの現実に対して実に多方面からの

捉え方がなされていきます。

容姿、価値観、個性、集団心理などをテーマとし、

作中の一人ひとりが自分の思いを率直に語っていく中で、

身勝手さや人間の醜い負の感情

どろどろと吐き出されたり、

一方で人間とはこんなに単純で明るく

幸せなものかと思わされたりしながら、

点と点が明らかに線になっていきます。

 

 

 

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個性としての認知

 

世界に目を向ければ、

日本とは異なる美の文化もあるし、

また国内でも時代を遡れば、

現代では美人の部類には入りがたい容姿の人

が美人と言われていた時代もあります。

美の価値観は地域や時代によって

変化するものではありますが、

それでもその地域内、

その時代の中においてはある一定の尺度があり、

そこから自分が外れているとわかったとき、

これは個性だと肯定的に自己認識できるのか、

それともその一般的な尺度に自分をなんとか

合わせていって折り合いをつけるのか、

自己嫌悪の塊になるのか・・・

それは人それぞれかもしれません。

さらには一定の尺度の中に入っているのに、

さらに上、もっと上を目指して自分の容姿を変えていく、

そうして頭一つ出たところで満足感や優越感を得る、

そんな人もいるのかもしれません。

他者についてはどうでしょう?

個性を尊重すべきだと世間で唱えられるようになって、

もうどのくらい経つのでしょうか。

人は見た目ではなく中身だという正論も、

もう聞き飽きるぐらい聞いています。

それでも人は美に傷つき、美に翻弄され、美を求めます。

美でないものが個性として認知されることは、

やはり難しいことなのでしょう。

しかしこの作品のエピローグ、

橘久乃が自身の後援会の中でジョークのあとに

さらりと言った

「基準を他人に委ねないで」

 

が、実は心に刺さったという人が

案外少なくないことを私は信じます。

 

 

 

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パズルのピースをはめていくように

 

湊かなえさんの作品は、

どれもがそれ自体パズルのようなものだと

私はずっと思っていました。

作中に散りばめられているピースを

一つ一つ埋めて絵を完成させていくジグソーパズル。

そしてそれを作っていくことが

彼女の作品を読むことであり、

楽しむことであると。

しかし今回は、

この「カケラ」というタイトルそのものが

ジグソーパズルのピースを指していました。

容姿の美醜、特に太っているとか痩せているとか、

がこの物語では重要なキーでしたが、

人は一つの側面だけを見て判断してはいけない、

欠点は誰にでもあるし、

それを補う長所も誰もが持ち合わせている、

などとそんな常套句はとっくにわかっていても、

人はやはり美醜を気にするものです。

自分に対しても、自分以外の人に対しても。

そんなとき、人は一人ひとりが

パズルのピースだと思えばいい

これは素晴らしいアドバイスです。

同じピースなど一つもない。

どれが正解でどれが誤答なのかも

そんなことは決まっていないのです。

自分の凹凸と合う凹凸を見つけたら

それを合わせればいいだけ。

でももし、

ここには自分の凹凸と合う凹凸のピースがない

と悟ったら、

別の絵のピースが集まるところへ行けばいいのです。

幸せを導くためにはまず自分を好きになること

だと思いました。

そして自分を好きになれないとき、

なにもかも人のせいにするのは良くないけど、

全部自分で背負い込む必要もないんだと

思えば気が楽になりませんか?

 

 

 

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