『聖女か悪女』感想とあらすじ!(小学館)真梨幸子のおすすめ新刊

 

今回ご紹介する一冊は、

真梨 幸子(まり ゆきこ) 著

『聖女か悪女』です。

 

久しぶりに嫌ミス女王の作品

に触れました。

相変わらずの切れ味で読んでいる間は

絶えず不快感がまとわりつきながらも

完全に引き込まれ一気に読まされました。

 

女王真梨幸子さんとの

出会いは「フジコ」でした。

 

主人公他の女性キャラに

何一つ共感できずただただ凄惨なお話

としてそれでも観たい欲求に逆らえずに

こちらも一気に観ました。

息苦しかったです。

 

その相変わらず感はそのままに、

この感想で後味の悪さだけでは

終わらずに訴えかける何かを探す

手がかりとして

参考にしていただけたら嬉しいです。

 

真梨幸子『聖女か悪女』は、

こちらからすぐに読めますよ♪↓


真梨幸子『聖女か悪女』 あらすじ


 

これが、人生の罰ゲーム。

葉山の別荘で結婚パーティーの最中、カリスマブロガーの月村珠里亜が倒れ、昏睡状態に。心理カウンセラーの麻乃紀和は、死んだ息子を陥れた珠里亜に復讐を果たすべく、彼女の身辺を調べ始める。
そんな折、四谷の超高級マンションで発見された8体の惨殺死体。珠里亜の過去を追う紀和が辿り着いたのは、2002年に六本木のマンションで8人の子供たちが監禁された“モンキャット事件”だった。事件の鍵を握る人物として浮上したのは、“オザワ”という名の謎の女で――
取材する記者は皆“消される”というモンキャット事件の真相とは!?
マルキ・ド・サドの禁書『美徳の不幸』にオマージュを捧げ、現代に蘇らせた超絶イヤミス!!

 

自身の結婚パーディーの最中、

人気ブロガー月村珠里亜は

数えきれない謀略の果てに倒れ

昏睡状態になります。

 

彼女に息子を嵌められ殺された

母親である心理カウンセラーである

麻乃紀和はその真相を探るべく

調査を始めます。

 

息子の手の甲に残された

「オザワ」の文字を追ううちに

たどり着くある事件。

 

一方ドキュメンタリー番組の出演者から

「オザワ」に出会いこちらもまた

ある事件にたどりつく。

 

全ての謎を含んだ

モンキャット事件とは?

 

 

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真梨幸子『聖女か悪女』 嫌ミス

 

常に物語の根底にあるのは

親子関係だったり家族関係です。

特に顕著なのは母親と子供パターン

ですね。

 

母親の執念の一撃で終わらせないあたりは、

とことん的な嫌ミスリードの取り方

ではないです。

 

それまでさんざんどうしようもない母親

を書いてきたわけでもないので、

普通の母親なのにお金の問題など

できれば目をそむけていたいことを

そらさずに書いている。

リアル感があります。

 

それなので執念というには

うさん臭さが残るのです。

 

執念という言葉を使ったのは

飯干で最後にさりげなく出る杭を

叩くかのように

富岡や西木にパーティーの誘いを

かけるところに腐臭がすることから

やっぱり嫌ミスだと感じます。

 

 

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真梨幸子『聖女か悪女』 美徳の不幸

 

聖女か悪女はマルキ・ド・サドの

美徳の不幸をベースにしているところ

があります。

 

美徳を守ろうとすると

不幸が襲い掛かり運命を掌握するには

悪行をなすこと、

美徳を踏みにじる覚悟がいる、

善悪の数は均等であるなら

悪徳をなす方が楽で近道で

幸福かもしれない、

 

それほどに神は人間に無関心だ

というような壮大な内容です。

 

聖女は神奈乙音、

悪女は月村珠里亜の立ち位置

でしょうか。

 

かたや誰にでも愛される存在、

かたや誰かを貶めようとする存在。

 

二人ともそれなりに成功を収め

ラストに向かっていくわけですが

相反する存在の二人が

中盤までどうして成功することが

できたのかそこを読んでみてほしいです。

 

珠里亜は幼い頃今でも確かに存在する

学校カーストの底辺にいた少女でした。

 

その上部に行くために

なんでもしてやろうと早くも認知欲求の

片鱗を見せ世の中はお金なのだという認識

も持っていたのです。

 

神奈乙音は闇よりも

恐ろしいものとして光をあげました。

 

容赦なく存在を暴いてしまうのが理由です。

 

女優という立場上自分が

光の中にいて恐ろしく思うのか、

自分の闇に気付いて光を嘲っているのか

そこも読み解いてほしいところです。

 

個人的にカーストの存在は認めても

意識的に指摘しないのが美徳だという環境

に育ってきたことと、

犯罪、悪徳を隠すものとして

闇が存在すると認識しているので

綺麗ごとと言われたり、

闇の必要性は感じるものの

「フジコ」同様全く共感できない

という感想を持ちました。

 

それでは悪行の限りを尽くした方が

幸福になれるのか、

不平等感はいつまでも

なくならないのか、失うものはないのか?

 

恥を知るということだと

思い当たりました。

 

 

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真梨幸子『聖女か悪女』 意思

 

宗教も本著には絡んでいて

色々なところに8という数字を出してきます。

 

一番信心深かったのが

心理カウンセラーである麻乃でした。

 

といっても本気で呪いをかけたわけではなく

かけたことも当然のようにかけられた

本人の知るところではありませんし、

そもそも信仰ではなく呪いなので

かけ離れたものですが、

存在として納得のいく答えが

「心理的作用」です。

 

結果は当人が思うところということです。

 

強い意志が通ったといい意味での

時は成されるといいなと楽観的に思うのです。

意思の力を信じたいのです。

 

 

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