井伏鱒二『黒い雨』内容あらすじと感想!映画版も「教科書にも載る必読の本」

 

今回ご紹介する一冊は、

井伏 鱒二いぶせ ますじ)

『黒い雨』です。

 

今年は戦後75年です。

 

つい先日、「黒い雨訴訟」で

原告側が全面勝訴という

ニュースをテレビで見ました。

 

75年です。

あまりにもかかり過ぎました。

 

被爆者の方たちの75年間の苦しみは、

想像だに及びませんし、

その人生を思うと、

言葉もみつかりません。

 

国語の教科書などでも

お馴染みの井伏鱒二著『黒い雨』は、

 

第二次世界大戦中の

広島のあの日の、

一瞬の内に起きた恐ろしく

信じがたい出来事について、

市井の人々の暮らしに

スポットを当てながら

克明に描かれた大作です。

 

読者は、原爆投下された

1945年8月6日から15日までに

書かれた被ばく日記と、

2年後にやっと日常を

かすかに取り戻しつつある

質素な生活描写とを交互に

読んでいく形ですが、

 

難しい言葉や表現や

知らないこともたくさん

出てくるので、

一筋縄ではいきません。

 

それでも、日本人なら一度は

読んでおかなければならない

作品だと思います。

 

 

 

 

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井伏鱒二『黒い雨』 あらすじ

田中好子 (出演), 北村和夫 (出演), 今村昌平 (監督, 脚本)

 

一寸さきは地獄だぞ。焼け死ぬぞ。

一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨の中を人々はさまよい歩く……。罪なき広島市民が負った原爆の悲劇。その実相を精緻に描く名作。

一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨"にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。

 

養女、矢須子の縁談が

なかなかまとまりません。

 

重松は、矢須子を

広島へ迎え入れた責任からも、

なんとしてでも矢須子の縁談を

決めたいところなのですが、

 

どうやら、地元の人々の間で、

矢須子は原爆病に罹っている

という噂が飛んでいるようなのです。

 

そのために、

せっかく縁談の聞き合わせに

来た人も辞退していくというありさまです。

 

そんなことはあるはずがない、

あの日、

矢須子は広島からは

少し離れた所に荷物疎開に

行っていたのだ。

 

その証拠に、

昭和20年8月5日からの

矢須子の日記を先方に提出して

読んでもらえばいい、

と重松は清書に取り掛かります。

 

しかし、そこには黒い雨

のことに触れた部分がありました。

 

重松は、誤解を受けることを恐れ、

自分の被ばく日記も附録

することにします。

 

図書館から寄贈の依頼も

受けているので、

どのみち清書しなければ

ならなかったものです。

 

日記は昭和20年8月6日から15日まで

のことがみっちりと書かれています。

 

それはそれは克明に、

状況、自分の行動、見

聞きしたこと、

感情を一言も漏らさず。

 

そしてそれをやっとの思いで

清書し終えたとき、矢須子は・・・。

 

 

 

 

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井伏鱒二『黒い雨』 あれこれ削ぎ落とした力強い文体が強烈に胸に突き刺さる

 

広島の地理に明るくなければ、

少々捉えづらいところもあり、

県内外の細かい地名や駅名、

川や橋の名前がたくさん登場

してくるので、

できれば地図を片手に

読むとよいのかなと思います。

 

構成は、終戦後2年が過ぎ、

ようやく少し落ち着いてきた頃の、

重松一家の日常の様子を

もとにしながら、

 

戦争終盤の頃のことを、

当時の日記を清書するという形

で回想する部分が混在してきます。

 

すらすらと読み進められるかというと、

決してそうではありません。

どちらかというと難解です。

 

しかし井伏鱒二さんの

飾り気のない文章は、

まわりくどくなく、

思わせぶりでもなく、

大袈裟でもなく、

事実を事実としてのみ

力強く表現されているので、

 

だからこそでしょうか、

戦争の残虐さが強烈に

胸に突き刺さってきます。

 

真顔でこの小説を

読むことはできません。

 

特に、8月6日からの数日間、

広島の街がどんな様子であったのか、

 

写真などでこれまで幾度となく

目にしたことはありますが、

井伏鱒二さんの書く文章には、

それらをも遥かに越えた凄味

とでもいうような写実が、

視覚のみならず、聴覚、嗅覚・・・、

読者の全身がフルに刺激され、

苦しくてなりません。

 

 

 

 

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井伏鱒二『黒い雨』 コロナ禍の今、戦禍を思い、戦争を考える

 

コロナ禍で今、

私たちは我慢を強いられた生活

をしています。

息苦しさを感じている人も

大勢います。

 

戦中戦後という時代もまた、

これに通ずる、いえ、

これ以上の忍耐一筋の生活で、

その中で一生懸命に

知恵をしぼって皆、

たくましく暮らしていました。

 

また原爆投下についてもそうで、

誰もが予期せぬ事態が

ある日突然起こり、

瞬時にして街は倒壊し、

多数の死者に溢れ、

当初は原爆を原爆とも知り得ずに、

毒ガスだ新兵器爆弾だと、

わからないものに対して

 

ただただ怖がり、

すぐに或いは後に

体の異常が発生しても、

前代未聞のことで、

どうしたらいいのか

医者にさえもわからない。

 

誰もが恐怖におののき、

不安に押しつぶされそうになりながら、

それでも必死で持ち堪えてきた

市井の人々。

 

未知のもの、

先のわからないことに対する

不安と恐怖、

そしてもう一つ差別という

大きな問題を抱えながら、

 

ここでまた、

戦禍とコロナ禍に重なるもの

が見えてきます。

 

疫病と戦争を同一にみてはいけません。

戦争は絶対に起こしては駄目です。

 

しかし、人間の歴史というものは、

ある日突然の理不尽で

不意な出来事から、

こうして生活が一変していくこと

を受けて、

 

新時代を構築し、

次の時代へと移行していくことの

繰り返しのようにも思えます。

 

人間は、

どんなにどん底まで

突き落とされても、

 

そこから必死に這い出して、

生を繋ぎ、

生活を興す底知れぬたくましさを

持ち備えていることを

『黒い雨』は教えてくれました。

 

一般の、ごく平凡な暮らしを

営んでいた民間人の目線のみで

書かれた本作品。

 

国家でも軍でもないところ、

末端の部分で日本を支えていた、

罪なき庶民によって語られる、

 

実に正直な戦争小説である

『黒い雨』は、

コロナ禍で歴史の過渡期の

真っただ中にいる私たちこそ、

今一度ぜひ読みたい作品です。

 

そして、次世代へも必ず

読み継がれなければならない

記録的小説だと思います。

 

田中好子 (出演), 北村和夫 (出演), 今村昌平 (監督, 脚本)

 

 

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