今回ご紹介する一冊は、
倉井 眉介(くらい まゆすけ) 著
『怪物の木こり』です。
シリアルキラー作品は
犯行の異常さはもちろ
ん犯行理由も独特で、
犯人の圧倒的カリスマ性を
かざして読者を味方につける
作風がヒットの王道でしたが
最近食傷気味なのも
否めないジャンルであります。
著者の倉井眉介さんは
前年度の江戸川乱歩賞でも
最終選考に残る書き手
なのでミステリーはもちろん
怪しさまで求められてしまう
作家さんでもありますね。
大学卒業から物書きになるべく
まい進された倉井さんですが、
なかなか芽が出ず
おそらく不本意な就職を
してしまいました。
想像ですがけじめと渾身の力
を込めて「これでどうだ!」と
書かれたのです。
選考員、読者も納得の
『怪物の木こり』の魅力
について紹介します。
目次
倉井眉介『怪物の木こり』 あらすじ
第17回『このミステリーがすごい! 』大賞受賞作は、
サイコパス弁護士 vs. 頭を割って脳を盗む「脳泥棒」、最凶の殺し合い!すべては二十六年前、十五人以上もの被害者を出した、児童連続誘拐殺人事件に端を発していて……。
自分は怪物なのか...
では人とは何なのか...善悪がゆらいでいく主人公に「泣ける!」との声もあがったサイコ・スリラー、待望の文庫化!
全ての元凶である事件現場に
捜査陣が踏み込むシーン
から始まります。
怪物を狩る者、怪物を追う者と
人生を翻弄される者との
交互の視点で話を追っています。
登場人物は警察、サイコパス、
怪物の木こり
(使命にかられる者)で、
サイコパスである
二宮彰の変革が見所です。
二宮こそが人生を翻弄される者
であり本編の主人公です。
冒頭の事件とは日本史上最低最悪
と言われる
静岡児童連続誘拐殺人事件と
されていますが
主犯は東間翠(とうまみどり)
もう名前からして
作中にもありますが魔女すぎる!
苗字に東がつくからでしょうか、
東の魔女を思わせます。
そうです根底に
「オズの魔法使い」があるのです。
タイトルもあまり考えず
読んだ読者は
冒頭からこのオズ雰囲気に
誘いこまれているわけです。
怪物の木こりは心を欲しがった
ブリキの木こりがモデル
とすぐにわかるかと思います。
倉井眉介『怪物の木こり』 怪物の木こりの役割
作中で怪物の木こりを模した
仮面をかぶった脳どろぼう
が犯行を重ねていきますが
犯行手口と被害者の共通点から
脳をとることが動機ではない
脳チップを取っている
という目的らしきものが
わかっていきます。
脳チップとは人間の意思、
感情を抑制する架空のしろもの
ですが
実際のところ脳チップを
入れてみないと
どのような行動をとるかは
わからないとされており、
先に書いた魔女は実験をし
経過をみたかった
研究者でもあったのです。
魔女の動機はまた違うところ
にもあったようですが。
脳どろぼうは脳チップが
埋め込まれた者は
サイコパスになると
身をもって知っていました。
なんの因果か脳チップ破損で
いわゆる普通の人の感情を
取り戻しつつあった脳どろぼうは
どうしてサイコパスを狩ろうと
思ったのでしょうか。
自らの行為を否定し
後悔したからだと解釈しました。
作品の主人公二宮は脳チップを
埋め込まれたサイコパスで
あったために脳どろぼうに
狙われます。
実際はケガをして
脳チップを破損してしまいます。
それゆえに普通の人の感情を
わずかに理解し始めるのです。
怪物と二宮はもちろん敵対する間柄
なので「どんな感じ?」
とは聞けません。
それでも脳どろぼうの一撃は
二宮に確実に効果を
もたらしています。
脳どろぼうが完全に
普通の人の感情を
取り戻していたら、
自分に起きたことを
信じ切っていたら
殺さずにダメージを与えることで
その効果のほどを見守る忍耐力
があったら
結果はまた違っていたのでは
ないかと思うのです。
存在を消してしまうという結論に
達するところがまだ
半分サイコパスなのですね。
ともあれ二宮は肉体的な痛みとともに
そこからくる精神的な痛みの
片りんを知ることになるので
二宮に対してだけは
怪物の木こりは普通の人の感情を
知らせる役割を果たした
のではないかと思います。
倉井眉介『怪物の木こり』 二宮の変貌
それまで簡単に人を何の感情も
もたぬままに殺害してきた
二宮が
たかが子供を叱る母親に
心をゆすられ制裁
を加えようとまで
感情を高ぶらせるなど
ありえませんでした。
杉谷の従妹への拷問も
いつものようには
上手くいきません。
人は環境の変化についていくには
野性味がなく柔軟性、
順応性に乏しいです。
信じるべくは自分自身なのに
その自分を信じ切ることが
できないのは
サイコパスでなくとも
恐ろしいことです。
二宮の動揺はもっとも
だったのです。
特に自分にとって
なんともない対象だった
映美の歌声を聞いてこともあろうか
涙を流すなどあっては
ならない光景だったに
違いありません。
ここで一つ疑問が浮かびます。
サイコパスは変化を望むのか
ということです。
二宮の場合、
映美の歌声に涙する自分を
自覚しもしかしたら
これが普通の人の幸せであって
サイコパスが得うる達成感とは
まるで別物で興味がわく
という可能性はあります。
対照的に親友(?)である杉谷は
生粋のサイコパスであるため
脳チップがどうという影響
を及ぼすわけではありません。
きっかけがなければ例えば幸せなどは
主観的なものであり
どんなに周りから不幸に見えても
当人は幸せを感じている
こともありえますよね。
サイコパスとは痛みを知らない人と
解釈すれば比較することもなく
憧れることもないわけです。
自分の変化を環境の変化の様に
恐れずに受け入れること
もできるでしょう。
ただそこに願いや欲はありません。
立って歩いて話す死人です。
生まれ変わるとはよくできた言葉で
二宮はまさに今生を
受けたのだと感じました。
倉井眉介『怪物の木こり』 本当の意味での怪物の木こりとは
本著を読むと気になる存在
ができます。
そうです二宮の親友(?)
杉谷です。
脳チップなしの生粋のサイコパス
コミュニケーションを
全くとらずに
生きるためだけに
整えられた環境にあっても
人間は2か月しかもたず
死滅すると聞いたこと
があります。
だとしたら杉谷も何らかの刺激を
受けながら
人生を歩んできたわけで
今の彼はどのあたりに
いるのでしょう。
それでもサイコパスであること
は間違いありませんが、
二宮という親友を得た
怪物の木こりとは
本当の意味では
杉谷のことだったのかも
しれません。
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