今回ご紹介する一冊は、
坪倉優介 著
『記憶喪失になったぼくが見た世界』
です。
これはもう、
ただただ衝撃のドキュメンタリーです。
交通事故で記憶喪失になってしまった後の坪倉さん。
駅で薄っぺらい1枚の紙が、
キラキラ光るたくさんの物と交換されることに驚いたり、
賑やかな場所で、
箱の中からこっちを見ている大勢のやつらを
助けなければと、
キラキラする物を次々に小さな細い穴に投入したりと、
前半は特に、
幼児が出しているなぞなぞの問題のようだったり、
子どもの作文を読んでいるようで、
その無垢な純真さが実は大の大人から
発せられているという現実に、
すっかりうろたえてしまいます。
こんなことが本当にあるんだ・・・
それを乗り越えた人が本当にいるんだ・・・。
信じられないような気持ちで読み進めると、
苦しくても苦しくても途方に暮れながら
でもなお前進していく、
そんな人間の持つたくましさと再生力に
心から拍手を送りたくなります。
そしてそれを支え続けた周囲の、
特にお母さんの苦悩と愛情には感服しかありません。
この苦難を乗り越える大きな糧となったであろう
坪倉さん本人の、負けず嫌いな貪欲さと、
繊細で魅力溢れる感性にもぜひ注目してください。
目次
坪倉優介 『記憶喪失になったぼくが見た世界』あらすじ
20年間、読まれている感動の1冊
テレビドラマ化され、バラエティー番組、新聞、雑誌、SNSでも紹介。
「こんな話があるのか……」と大反響!!現在48歳の坪倉優介は、今から30年前、大阪芸術大学1年生のときに交通事故に遭い、
記憶だけでなく、食べる、眠る、トイレなど、生きていくのに必要な能力を失い、お金や漢字まで忘れてしまう。
それはまるで、18歳の赤ちゃんと同じだった。目の前に出されたお米は、「きらきら光る、つぶつぶ」としか思えなかった坪倉には、世界はどのように見えたのか……。
目の前に立つ「
オカアサン」という女性のことを、どのような経験を積み重ねながら、心から本当の「お母さん」と呼べるようになったのか……。やがて大学を卒業して、京都の染工房に就職。
草木染職人として修業を積んだあと2005年に独立、「優介工房」を設立。
桜、笹、どんぐりなどを刻み、染料にして染めていく作品が、
人気を呼ぶ。100パーセント草木だけで染める制作方法は珍しく、出来上がった着物は「坪倉カラー」と呼ばれるようになる。
今までに日本全国で200回以上の展示会を行った。現在も、草木染め職人として活躍するかたわら、
小学校などで講演会を開いて、生命の大切さについて語る。坪倉の再生の過程を、本人が綴るエッセイだけでなく、
献身的に見守りつづけた母親の証言でたどる感動の手記。
現在は草木染職人として活躍している坪倉さんは、
1989年6月、大学への通学途中に交通事故に遭い、
記憶喪失になってしまいます。
酷い事故で、奇跡的に一命は取り留めたものの、
意識が戻った時には過去の記憶をすべて失っていました。
ドラマや映画の中でしかほとんど見聞きしたことのない
「記憶喪失」。
記憶を失うというのは、
自分が誰なのかがわからなくなることなんだろうか?
と、なんとなく思っていた私は、
本書を読んで驚きました。
自分のことがわからないどころか、
目にするもの何もかもが何なのかわからないのです。
時計も自転車もお米も。
かあさんもとうさんも。
食べる行為も寝ることも。
本当に何もかも。
それはまるで、
生まれてきたばかりのまっさらな赤ちゃんと同じでした。
とはいえ見た目は大人で年齢は18歳。
さあ一体、ここからどうやって社会の一員としての
生きる力を蘇らせたらいいのだろう?
苦しみながら、
人間として一から物事を覚えなおしていく坪倉さん本人と
気持ちと、
文字通りの体当たりで
坪倉さんに接し支え続けたお母さんの思いが、
時系列で交互に綴られていきます。
身近な物の色や形に新鮮な面白さを発見しながら
何もかもがわからない、
知っている人も誰もいない、
言葉も通じない、
そんな世界に一人ぽつんと放り出されたら、
一体どれほどの恐怖や疎外感や孤独を
味わうことになるでしょうか。
記憶喪失になってからの坪倉さんは
そんな状態でした。
人が怖いとしきりに訴えています。
人が坪倉さんに対して顔をしかめる場面が
とても嫌だったようです。
だから人に合わせるのだ、
何が面白いのかわからなくても、
人が笑えば自分も笑う、
わからない話にもなるほどとうなずく。
わからないことや気になることもその場では聞かない。
そんな自分を押し殺した生活によって、
一体どれほどのストレスと苦痛に
毎日晒されていたことでしょう。
しかしくじけることなく、ことばを一から教えなおし、
ものの使い方や意味を一から説明しなおし、
手取り足取りつきっきりでサポートしたお母さん
の支えもあって、
日常のいろいろなこと一つひとつを改めて
理解しはじめていきます。
その過程での坪倉さんの表現からは、
人間というものを実に詳細に観察し、
身近な物の色や形の発見に感じた面白さを
心から味わい感じていることがわかります。
子どものようなその無垢な感覚が、
私にはなんとも切なく、
しかし、こんなにも感性が豊かで繊細で、
観察力が鋭く、考察に優れている人なんだと
いうことに深く感心もしました。
その根っこの部分はきっと、
記憶が失われても変わっていなかったのでしょうね。
そして、その感性が具現化されているのがご本人の絵です。
元々絵が得意だったという、美大に通っていた坪倉さん。
その作品が、本書にも何点か掲載されていますが、
それらはどれもがドキッとさせられるものばかりです。
人よりも長くかかって大学を卒業した後は、
京都の工房で働き、
着物や帯を草木で染め上げて商品を生み出し、
今では独立して自身の工房を立ち上げるまでになりました。
が、それは過去を取り戻したのではなく、
葛藤の末、新たな自分を築き上げることでした。
再生とはあたらしい過去を作っていくこと
人間は、過去の経験の積み重ねで今があるとすれば、
過去をすべて失ってしまった人が
「自分とは何者なのか」と混乱するのは、
火を見るよりも明らかです。
その状態に実際に陥ってしまった坪倉さん。
やはり当然のことながら事故に遭う前の記憶を
一生懸命取り戻そうとしました。
しかしうまくいきませんでした。
残酷な現実です。
ところが、事故から12年経った頃には
こんなことを記しています。
「今のぼくには失くしたくないものがいっぱい増えて、過去の十八年の記憶よりも、はるかに大切なものになった」
そして
「今いちばん怖いのは、事故の前の記憶が戻ること。」
とまで言い切るのです。
「そうなった瞬間に、今いる自分が失くなってしまうのが、ぼくにはいちばん怖い。ぼくは今、この十二年間に手に入れた、あたらしい過去に励まされながら生きている。」
再生とは元に戻ることではなく、
あたらしい一歩を踏み出し、
あたらしい過去を作っていくことなんですね。
ここまでの思いに至るには、
並大抵の苦しみではなかったはずです。
しかしそれらを乗り越え、
それどころかなんと私たちに、
ご自身の草木染の作品を通して
生命の大切さや力強さを健気に伝えようとまで
してくれています。
坪倉さんにしかできないこと。胸が震えます。
私たちはそれを謙虚に受け取って、
生きていることへの感謝と意欲を
忘れずにいなければと思いました。
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