今回ご紹介する一冊は、
斜線堂 有紀(しゃせんどう ゆうき)著
『楽園とは探偵の不在なり』
です。
ミステリファンなら
皆さんご存知でしょうが、
ノックスの十戒と
呼ばれるものがあります。
これは英国のミステリ作家
ロナルド・A・ノックス氏が発表した、
本格ミステリに於いて
守られるべきルールのことです。
冗談だったとも言われ、
あえて違反した作品が
いくつも発表されている、
いわくつきの十戒ですが、
未だ言及されているように、
その諌めの多くは妥当なものです。
たとえば、
第八則:推理を組み立てる材料は
すべて読者に開示されなければならない、
なんてのに違反してしまえば、
これはもうミステリではありません。
この十戒に面白い点は
いくつもあるのですが、
そのひとつが、
超自然的なものを作品に
持ち込むことを禁じる
ルールの多さです。
二則で超自然的なものを直球で禁じ、
四則でSF的なものも禁じます。
そして超自然的能力を持った魔術師
(ウィキペディアによればフー・マンチュー)
を「中国人」と表現したことで
悪名高い第五則では、
これの登場を禁じます。
つまり十のうち三則までが、
超自然的なものの禁止なのです。
考えてみれば当然でしょう。
例えば「ウルトラマン」の世界で
密室殺人が起きたとします。
「壁抜けでもしなければ、殺人は不可能だ」
「じゃあ犯人はバルタン星人だ」
「……」。
こんな感じで、
物理法則や因果律を無視されてしまうと、
合理的な推理そのものが
虚しいものになってしまう。
それでも(だからこそ? でしょうか)
超自然的なものをミステリに
持ち込もうとする作家は
後を絶ちません。
SFミステリとか、
オカルトミステリとか呼ばれる
一連の作品はもちろんですが、
単に人外や魔法が存在する
世界を舞台にしたミステリ作品なら、
枚挙の暇がないと
言っていいでしょう。
探偵役が吸血鬼とかで
(かつ超絶美形)なんて設定は、
ライトミステリではもはや
定番かもしれません。
もっと物語世界の根幹に
超自然的なものが関わってくる
作品と言えば、
ゾンビが出てくる、
映画化もされたアレが
思い出されるところですが、
一応タイトルは
伏せておきましょうか。
ゾンビと言えば、
山口雅也氏の『生ける屍の死』(光文社文庫)
なんてのもありますね。
こうした作品群がミステリとして
成立するのは、
人外や魔力の類にも、
一定のルールがあって、
それさえ踏まえれば、
現実の世界と同じように
扱えるからです。
今回の『楽園とは探偵の不在なり』も
超自然を持ち込んで、
現実とは異なる世界を構築した上での
ミステリです。
それも単に人外が存在する
というようなレベルではなく
(人外は存在しますが)、
世界そのものに新たなルールが
付け加わっているのです。
では追加されたルールの話
から始めましょう。
目次
斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』 人を二人殺せば地獄行
二人以上殺した者は“天使”によって即座に地獄に引き摺り込まれるようになった世界。細々と探偵業を営む青岸焦は「天国が存在するか知りたくないか」という大富豪・常木王凱に誘われ、天使が集まる常世島を訪れる。そこで青岸を待っていたのは、起きるはずのない連続殺人事件だった。かつて無慈悲な喪失を経験した青岸は、過去にとらわれつつ調査を始めるが、そんな彼を嘲笑うかのように事件は続く。犯人はなぜ、そしてどのように地獄に堕ちずに殺人を続けているのか。最注目の新鋭による、孤島×館の本格ミステリ。
物語が始まる五年前、
「降臨」と呼ばれる現象
が起きました。
天から光の柱が落ち、
そこから天使が現れたのです。
コウモリの羽を持つ、顔のない猿という、
むしろ悪魔を連想させる外見
をした天使たちによって、
降臨以降、二人以上殺した人間は
即座に地獄へ引きずり込まれる
ようになった、
というのが物語世界の
基本的な設定です。
このことで世界が平和になったかと言うと、
一人目の殺人は天使が見逃すため、
一人だけの殺人は神に拠って許されている、
権利だと考えるバカや、
どうせ地獄に堕とされるならと、
なるべく大勢を道連れにしようと
する異常者のために、
世界はむしろ危険な場所に
なってしまった。
新しい要素が付け加えられたせいで、
本質的に変わってしまった世界
というのはSF寄りのアイデアで、
スティーヴン・バクスター氏や
アーサー・C・クラーク氏の
ハードSF作品を連想させます。
天使や地獄の存在が、
却って世界を殺伐とさせる
という逆説や、
それを利用して私腹を肥やす
人間の存在などが、
物語に厚みを加えている
ように思います。
斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』 探偵
物語の探偵役である
青岸焦(あおぎしこがれ)は、
降臨以降の世界でも、
細々と探偵を続けてたのですが、
ある事件以降はすっかり生きる気力
をなくしています。
そんな彼のもとへ、
天使に異常な執着を見せる
実業家・常木王凱(つねきおうがい)から、
王凱が所有する常世島への招待
が送られてきます。
その意図を訝しみながらも、
招待を受けた青岸ですが、
他の招待客は天国研究家に、
王凱のお抱え代議士と
ジャーナリスト、
そして武器商人と
癖のある面々ばかり。
そして、ついに
殺人事件が起きてしまう……。
ミステリとしての主眼は
WHOではなくてHOW、
人を二人殺せば地獄行の世界で、
如何にして地獄に堕とされずに
連続殺人を行うかという
論理パズルです。
青岸によって明かされる真相は、
なかなか美しい。
伏線の張り方も、
少しぎこちないくらい丁寧で、
ほとんどヒントに近いようなもの
もあります。
このあたり、特殊な設定の世界なので、
アンフェアにならないよう、
作者が気を使っているのが
よく分かりますね。
斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』 弁神論
「全知全能の神がおわすのに、
なぜ世界に悪が存在するのか」
という神学上の問があります。
これに対し、神なんていないから、
と答えて無神論者になってしまえば
楽なのでしょうが、そうはせずに、
神の立場を弁護しようと
するのが弁神論です。
本書の中で描かれるのは、
この弁神論的問が先鋭化
したような世界です。
ここではどんなに
悪事を重ねても、
人を二人以上殺さなければ
地獄には堕ちません。
また天国の存在は確認されず、
どんな善人でも、
天国に迎えられるということはく、
その不幸に際し、
天使や神の介入もありません。
この世界では天使(神)の存在は
確認されているのに。
無宗教の人にとって
弁神論なんて無意味と
思うかも知れませんが、
ここでの神はおそらく
キリスト教的なものではなく、
世界の善意のようなものです。
「この世界は本質的に良きものである」
ことを多くの人は、
無意識に信じているように思います。
つまり善人が傷つけられ悪人が栄える、
そんな理不尽は間違っている、
どこかで正されなければおかしい
と多くの人は信じているはずです。
けれど間違っているのは人々の方で、
理不尽が世界によって、
決定的に肯定されてしまったなら?
そんな世界で正しく生きるとは
どういうことになるでしょうか。
作家はこの問を探偵(≒正義の味方)
という装置を持ち出すことで、
更に先鋭化させます。
この世界で探偵であるとは
どういうことなのか?と。
お話のように尖ってはいなくても、
理不尽は現実のどこにも転がっています。
世界は結局、それを救っては
くれないかもしない。
あなたは青岸の苦闘をどう見ますか?
斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』 『地獄とは神の不在なり』
物語のあとの付記で、
作者さんが『地獄とは神の不在なり』
(2003年/テッド・チャン『あなたの人生の物語』ハヤカワ文庫SF収録 )
からの影響について
触れられています。
なんか既視感のあるタイトル
だと思ってたけど、
そうかそうだったか。
気づかなかったなあ。
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