小川哲『ゲームの王国』文庫の感想とあらすじ!【書評】1975年のカンボジアにて

 

今回ご紹介する一冊は、

小川 哲(おがわ さとし)

『ゲームの王国』です。

 

小川哲氏は東京大学大学院に

在学中の2015年、

『ユートロニカのこちら側』

で第三回ハヤカワSFコンテスト

大賞を受賞して

作家デビューしました。

 

『ゲームの王国』

その二年後に発表された第二作で、

長編としてはデビュー作になります。

 

第三十八回の日本SF大賞

第三十一回の山本周五郎賞

受賞作でもあります。

 

でも、どうでしょう。

そんなこと全部まとめて

どうでもいいんじゃないか?

 

下巻に添えられたあとがきを

読む限りでは、

少なくとも作者は

内心そんなことを

思っているような気がします。

 

では内容に入っていきましょう。

 

 

 

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小川哲『ゲームの王国』マジックリアリズム

 

サロト・サル――後にポル・ポトと呼ばれたクメール・ルージュ首魁の隠し子、ソリヤ。貧村ロベーブレソンに生まれた、天賦の「識(ヴィンニャン)」を持つ神童のムイタック。運命と偶然に導かれたふたりは、軍靴と砲声に震える1975年のカンボジア、バタンバンで邂逅した。秘密警察、恐怖政治、テロ、強制労働、虐殺――百万人以上の生命を奪い去ったあらゆる不条理の物語は、少女と少年を見つめながら粛々と進行する……まるでゲームのように。

 

クメール・ルージュ以前、

シハヌークの圧政が続く

カンボジア。

 

遠く離れた町で、

少女と少し遅れて

少年が生を受ける。

 

サロト・サル

(後のポル・ポト)の

私生児と勘違いされた、

捨て子の少女・ソリアは

プノンペンで、

周囲から理解されない。

天才少年のムイタックは

僻地の農村で、

それぞれに周囲の人の愛情に

囲まれて成長する。

 

けれどソリアは、シハヌークの

秘密警察の手により育ての親を

意味もなく惨殺されてしまう。

 

その後数奇な運命を経て、

土地持ちの青年の元に

身を寄せていた少女は、

そこでムイタック少年との

邂逅を果たす。

 

初めてほんとうの意味での理解者

をお互いに見いだした二人は

ゲームをして時を過ごす。

 

その至福の日、

クメール・ルージュは

首都を陥落させ、

シハヌーク体制を憎む少女を

歓喜させる。

 

けれども、

その後にやってきたのは

シハヌーク時代をも上回る、

悪夢のような世界だった。

 

一応SFとされる

『ゲームの王国』ですが

上巻にSF的な要素は

ほとんどありません。

 

スーパナチュラルな描写

は幾つかあって、

たとえば泥(注:人の名前です)が

土を操って大暴れをするシーンを

超能力というような言葉を使って、

説明することはできるでしょうが、

あまりピンときません。

 

ファンタジーというのも違う。

それよりガルシア=マルケスなど

に代表される、

所謂マジックリアリズムの幻想

と現実が渾然一体となった描写を

思わせます。

 

もとよりマジックリアリズム

中南米のあまりにも

凄惨な現実の前に、

従来のリアリズムが耐えきれず、

たわんでしまった結果、

産み出された表現の方法です。

 

ポル・ポトのカンボジアを

描くのにこれほど適した表現

の方法はないと言えるかも

知れません。

 

 

 

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小川哲『ゲームの王国』敵同士

 

あれから半世紀、

少年と少女は

敵同士になっていた。

 

カンボジアをまともな国に

するためには権力を

手にするしかない

と考えたソリアは、

そのために幾つもの罪を

犯すことを辞さなかった。

 

その中には

ムイタックにとって、

決して許せないことも

含まれていた。

 

半世紀の後、

ソリアはカンボジアの頂点を

目指す政治家になっており、

ムイタックは脳科学を

研究する科学者になっていた。

 

彼は脳波を使って操作する

ゲームの開発に関わることになり、

全てのプレイヤーを幸福にする

ゲームを構想する。

 

そのゲームで勝つためには

幸福な気分にならなければ

ならないのだ。

 

けれど、そのゲームが

プレイヤーに偽の記憶を

植え付けることを知った

ムイタックは、

それを用いてソリアの妨害を

試みるのだが。

 

下巻は近未来が舞台になり、

一気にSFらしくなります。

 

中心になるガジェットは

脳波によって操作されるゲーム。

 

このゲームで必殺の大技を

出そうとするなら、

プレイヤーは自らの生涯で

最も幸福な瞬間を思い浮かべ

なければならないので、

 

プレイヤーはたとえ

ゲームに負けても、

その思い出のために

少し幸せになっている

というわけです。

 

ただ、このガジェットが

政治の裏面を描く

ハードボイル風味の

物語に近いメインプロットに、

うまく絡んでるかというと、

少し疑問ですね。

 

それだけではなく正直、

クライマックスに向けて、

筋がかなりバタついて

駆け足になり、

いろいろ放り出して終って

しまった感じはあります。

 

 

 

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小川哲『ゲームの王国』ボーイ・ミーツ・ガール

 

モーリタニアの

ソンクローニ族を

調査した人類学者は、

その生活が倫理的であること

によって高得点を得られる、

一種のゲームとも見なせると考え、

彼らの部落を「ゲームの王国」

と呼んだ――。

 

もっともらしいんですが、

ソンクローニ族というのは

作者によって産み出された虚構

なのだそうです。

 

それはともかく、

極めて倫理的で、

幸福度も極めて高い

この「ゲームの王国」を

カンボジアで成立させようと、

全ての悪を呑込んで進む少女と、

「ゲームの王国」など

元から存在しない、

人類学者の解釈は

根本的に間違っている、

そう考える少年。

 

この壮大なお話しが

結局のところ、

この二人の

ボーイ・ミーツ・ガール

であるというのは

とても感動的だと思います。

 

決して軽いお話では

ありませんし、

史実に基づくあんまりな

出来事には

頁を閉じたくもなりますが、

それだけでもありません。

 

マジックリアリズムの

小説によくある、

とんでもない馬鹿話が

哄笑を誘うシーンも

多々あります。

 

それを記してこの項を

終りたいと思います。

 

 

 

 

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